Aperture—眼差しを穿つ

Aperture—眼差しを穿つ
小松 敏宏
2020/02/29 ~ 2020/04/25
KANA KAWANISHI GALLERY

KANA KAWANISHI GALLERYは、2020年2月29日(土曜日)より小松敏宏個展『Aperture—眼差しを穿つ』を開催いたします。
小松は1993年に東京藝術大学大学院美術研究科修了後、1999年にマサチューセッツ工科大学(MIT)大学院建築学部修了。アムステルダムやニューヨークでのレジデンス滞在制作を経て、MoMA PS1、クイーンズ美術館など海外で多く作品を発表しながら、帰国後は、越後妻有アートトリエンナーレ(2012/2015)や瀬戸内国際芸術祭(2013)などの国際芸術祭にも数多く参加してきました。
小松は、写真、パビリオン(仮設建築)、あるいはサイトスペシフィック・インスタレーションを通し、事象の認識を更新させる視覚芸術を仕事として重ねてきました。本展『Aperture—眼差しを穿つ』では、視覚と空間のねじれを鑑賞者にもたらす潜望鏡/ペリスコープ構造の 〈SCOPE〉 シリーズ、および建築空間のレイヤーを打ち消す透視写真シリーズ 〈CT〉 で展示を構成します。
「人が物や事象を目で見たいという当たり前のこと」や「ポロシティ*あるいは視覚と視覚にまつわる認識域の隙間」を端的に捉え、論理的な現実の把握に基づきながらも、飛躍的な非日常感を鑑賞者に促してきた小松敏宏。今回は、国内外で数多くの高評価を得てきた小松作品を東京のギャラリー空間で体感いただける、初めての貴重な機会となります。是非ご高覧をお待ちしております。
* ポロシティ(porosity, void fraction)とは、固体物質が小孔や割れ目、粒子間空隙などの空間(void, pore)を含む量を表す尺度。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ポロシティ

 

【小松敏宏の仕事について】

見ることは言葉よりも先にくる。、、、世界における我々の位置を決めるのは、見ることなのである。
『イメージ – Ways of Seeing 視覚とメディア』ジョン・バージャー(伊藤俊治訳)

人が物や事象を目で見たいという当たり前のこと
見たいという衝動、見ることによって理解し世界を把握したいというごく自然な人間的欲求。美術家の仕事は、現実世界に存在しない全く未知なる新しいものを作り出すことではなく、すでにそこにありながらも日常の視覚あるいは非視覚的認識から外れてしまった事象をあらためて提示するのだということ。視覚性と空間性を同時に主題、素材、そして手段として扱う小松敏宏の仕事はこの視覚芸術というものの当然すぎるほど基本というべきこの概念と、それをともすれば忘れがちあるいは誤解しがちであるわたしたち鑑賞者の立場を再認識させてくれる。Mettere al mondo il mondo はイタリアのコンセプチュアル・アーティスト、アリギエロ・ボエッティ(Alighiero Boetti、1940-1994)の1970年代のシリーズ作品数点につけられたタイトルである。これを「世界を世界に挿入する」とでも訳してみるなら、哲学的・政治的なニュアンスを気まぐれに多彩な作品の表面下に織り込んだ彼の、一貫した芸術に対する姿勢が集約されている — あなたたちが見落としているものを指差しているだけですよ、と。芸術は慣習的な視覚や知覚のリセット・ボタン。

Porosityあるいは視覚と視覚にまつわる認識域の隙間
空間と視覚。物質的空間を平面図像化すること。小松の作品CTは写真というメディアの平面性とその中でリプリゼントされる空間表現のリアリズムの持つ虚偽性、またはその限界を、画面上の操作によって複雑化する。視覚的、物理的、あるいは時として概念的な現実に敷衍する気功のような隙間を写真という表現に取り込む。そのために、精密度を極めるかの光学・光覚的で構築的な知識や技術を媒介手段として取り入れながら、私的と社会的・歴史的、感情と理性、能動と受動、システムとポエトリーといった一見屹立条項であるかのようなエレメントを混在させていく。もはや見慣れているはずのデジタル・テクノロジーによる複雑に重複・交錯するタイプのイメージが、小松のCTではコンピューター・スクリーンやLEDの大画面でもなく、スタティックにプリントされ額装された写真として提示される。西洋住宅内装のカラフルな壁とそれを打ち抜く(張り込みではなく)幾何学パターンのポップなグラフィック効果が、前景室内風景の自立性を崩壊する。被写体としての空間内の遠近均衡をキャンセルするオプティカル・イリュージョンに擬似するかの現象あるいは操作を経た表現の、どこまでが事実でどこからフィクションなのか。こう見えている、そうなっているはずだという目と頭の習慣的刷り込みと視光学的認識の間にあるテンション。

SCOPEはそのテンションを更に拍車をかける。壁面に掛けられているSCOPEは彫刻作品ともいえるオブジェクトであり、鏡張りの内面構造が予想を超えた何を見せてくれるのかという期待と好奇心を駆り立てる。SCOPEは現実とイリュージョンが混交する、どこまでもカレイドスコピックに断片化された視覚体験を提供する。オブジェクト内部は、鏡板の反射面が内側に向かい合い三角形や平行四辺形といった幾何学的な構造体を形成する。反射鏡となり鑑賞者の視覚を予期しない方向に拡張・撹拌するSCOPEは、壁に仕掛けられた視覚の陥穽あるいはラビット・ホール。見るという行為に期待された結果を混乱することで、視覚の習慣性に揺さぶりをかける。

見てわかりたいという衝動 — それが物理的環境であれ、意識的領域であれ — 自己の存在を位置付けするために視覚的に世界を把握しようとするコンスタントな探求。小松の仕事は、そうした人間の存在機能の極めて自然な延長上にある。

岩崎仁美 クイーンズ美術館学芸部ディレクター/キュレーター
2020年、ニューヨーク

 

1994年の冬、関東地方は大雪に見舞われた。最初のペリスコープは、ヴィトリーヌと呼ばれるガラス製展示ケースに似たものを、外が雪で一変した部屋の窓辺に置いたものだった。欧州に旅立つ直前に、自分が住んだ部屋の内と外の関係を作品化したいと考え、部屋から見えた眺めを内側にリフレクト(反射/反映)して招き入れた。鏡の箱を通した眺めは、雪が重力に逆らい上下左右の判別があいまいな幻影となって現れた。
その年の夏にドイツから移り住んだオランダでは、ペリスコープをレジデンスのアトリエの窓に複数吊るし、残りの窓は遮って光をコントロールした空間「イルミネーション」(1995年)をつくった。薄暗いアトリエには朦朧とした光の幻影が現れては消え、走馬灯のようであった。オランダには鏡を窓辺に置いて、玄関のベルを鳴らす客を覗き視る習慣があり、スパイと呼んでいる。アムステルダムのゲート財団ギャラリーの「シークレット」(1996年)では、ペリスコープをかつて秘密警察として使われた展示室の窓に取り付け、向かい合う別の建物(オランダ戦争資料館)の室内を展示室から覗き見る監視の作品に仕立てた。
ニューヨークのMoMA PS1の展示室にペリスコープを取り付けた際には、窓だけでなく床の中心部にも階下まで貫通して垂直に穿ち、真下の広々とした展覧会場を俯瞰できるようにした。自分の展覧会場は美術館の外と真下を観測できる「展望台」(1999年)に変貌した。さらに翌年のQueens Museumの「隣接する空間」(2000−2001年)では、美術館の制度に触れる作品として2階展示室に飾られた同美術館が収蔵する写真作品を大胆に干渉するように、ペリスコープを展示壁面を刳り貫き穿った。展示室の裏側にある別の壮大な展示室に向けて、ペリスコープは観客の眼差しを複数方向に拡張した。さらに展示室の反対側に垂直に取り付けたペリスコープによって、観客は下階の展覧会場を覗き見ることができた。私が介入したことで、美術館の中でおこなわれていた全く関係のない2つの展覧会は、建築の物理的な制約を超えて視覚的に結ばれた。
取手アートプロジェクト2000の「O-House」(2000年)では、郊外で廃墟となった平屋の木造住宅に複数のペリスコープを穿った。前住人が残したモノが散乱した室内の生々しさをペリスコープが非直接的に映し見せる一方で、中心部のペリスコープは家屋を貫通し、廃墟として取り残された家とは対照的に、それとは無関係な郊外の日常を淡々と映し出した。MOCA Taipeiのインターセクション(2005年)の際は、日本統治時代に建設されたという元小学校の建物に対して、ペリスコープを廊下から教室だった室内を飛び越えてファサードまで完全に貫通して穿った。廊下に飛び出したペリスコープの開口部を通して向こうを見れば、そこにある筈の教室は無く、賑やかな台北の往来がカレイドスコピックに断片化された姿で現れるのみであった。
このようにペリスコープは場所の文脈に応じてかたちを変え、多くはサイト・スペシフィック(場所に固有)な作品となり展開してきた。新型のペリスコープであるSCOPEは、ニュートラルなギャラリーの文脈を踏まえてスペシフィック・オブジェ(特別な物体)に近い、絵画でもなく、彫刻でもない形式の作品である。美術作品の展示室であり、白い壁で囲まれたホワイトキューブは、東京でもニューヨークでも殆ど似た姿をしている場所性を失った非現実的な空間であり、外部世界から切断されている。ギャラリーの壁に設置された複数のSCOPEによって、鑑賞者の眼差しはホワイトキューブの壁面上を通り抜けてギャラリーの外部、あるいは内部のあらぬ方向に向かって広く拡張する。外部と内部はSCOPEによって接続され、無場所化したホワイトキューブは場所性を与えられることになる。外部とはホワイトキューブの外側にある世俗化されたリアルな日常世界であり、道路、並木、電信柱、通行人、周囲の建物などである。これら外部のリアルな場所とホワイトキューブの内部の非現実的な空間はSCOPEによって視覚的に混ぜ合わされる。
”Computed Tomography”と題する透視写真のシリーズがある。題名はCTスキャンと同じ意味で、コンピューター断層撮影の略称である。人のからだをCTスキャンするように、デジタルカメラをスキャナーのように使い建築を撮影し、部屋の壁や天井、床の向こう側に実際に存在する、壁で隠されたエリアを透視するようにして暴いて見せた。教会がチャリティーで建てたという、壁が複数の色で乱暴に塗られたロンドンの荒廃した住宅と、自分が滞在していた短期滞在用の家具付きアパートを被写体とした。マッタ=クラークのように実際の建築空間をリアルに切断しスリットを入れるのではなく、レイヤー化されたデジタル画像にバーチャルにスリットを入れ、まるで切断したかに見せる。輪郭がぼかされたさまざまなフォルムのスリットが、家具やテレビといった部屋の調度品もアン・リアルに切断し、奥の間や建物の外にまで眼差しを穿つ。   —小松敏宏