大分県宇佐市院内

大分県宇佐市院内
産業編集センター 出版部
2023/04/13 ~ 2023/05/18
大分県宇佐市院内

【旅ブックスONLINE 写真紀行】
産業編集センター出版部が刊行する写真紀行各シリーズの取材で訪れた、全国津々浦々の風景を紹介しています。
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深い渓谷に広がる日本一の石橋の郷

日本に現存する石橋の数は約二千基といわれている。その九割近くが九州に集中しており、大分県がもっとも多い。なかでも、75基の石橋が現存し、うちアーチ橋の数は64基と日本一を誇るのが、宇佐市院内町だ。
 深い谷筋に集落が点在するこの地域では、川を渡るための橋は人々の暮らしにとって不可欠なものだった。しかし、川の流れが急で木製の橋だと度々流されてしまうため、木の橋の代わりに石橋が架けられるようになった。
 石橋の材料となる石が豊富に採石できたこと、さらに棚田の石垣や水路造りを通して高い技術を身につけた石工が、この地域に多くいたことが幸いした。古いものでは江戸時代末期、新しいものでは昭和20年代に造られたものがあり、新旧とりまぜた石橋が今もしっかりと院内の人々の暮らしを支えている。
 院内にある石橋の中でもそのシンボル的な存在となっている「鳥居橋」を訪れてみる。天に伸びる橋脚は、空に飛び立つ鶴の優美さに似て、麗しい造形美を放っていた。聞けば「石橋の貴婦人」と呼ばれているそうで、たしかにそのとおりと合点がいった。集落をつなぐ五連のアーチと相まって、圧倒的な力強さで見る者に迫ってくる。
 この鳥居橋をはじめとして、院内の代表的な石橋を十数基手掛けたのが〝石橋王〞と呼ばれる石工の名棟梁・松田新之助である。若い頃に関西でアーチ橋設計の技術を学び、明治30年頃に院内に帰郷した後、多くの石橋をつくった。大正13年、架設中の富士見橋が崩落してしまった際には、私財を投げ打って再び架設、翌年に見事完
成させたというエピソードも残っている。
 鳥居橋を後にし、ほど近いところにあった「一の橋」に向かう。一瞬、どこにあるのかわからないほど小さい石橋で、まるで自然の造物のように周囲の風景に溶け込んでいる。人々はこの橋を渡って神社へ足を運ぶ。
 院内には、このような大小さまざまな石橋が数多くある。恵良えら川に沿うように伸びる国道387号を走れば、石橋の場所を示す看板に多く出会うだろう。橋によっては駐車場があるので、ゆっくりと見ることができる。
 そして、石橋を見るついでに、まわりに広がる田園や集落の風景にも目をやってほしい。日本一の石橋の郷・院内のもう一つの魅力、なつかしいふるさと風景がいたるところに残っていることに気づくのではないだろうか。

※『ふるさと再発見の旅 九州1』産業編集センター/編 より抜粋