北海道石狩市浜益区濃昼

産業編集センター 出版部
2025/04/25 ~ 2025/05/25
北海道石狩市浜益区濃昼
【旅ブックスONLINE 写真紀行】
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不思議な魅力を持つ、陸の孤島の小漁村集落
濃昼は、旧浜益村(現・石狩市浜益区)の濃昼川の河口に開けた漁業集落である。この村は、昭和46年に国道231号線が開通するまでは旧石狩町側からの道路はなく、新十津川町方面からの道路しかない陸の孤島だった。その村の海岸部にある濃昼は、長い間孤立した漁村だったわけで、今もどことなくその名残が感じられる集落である。
濃昼と書いて「ごきびる」と読む。語源はアイヌ語で「ポキンピル」(崖の陰)の意味。その名の通り、濃昼に昇る朝日は、巨大な崖に隠れて見えない。231号線は隣区の厚田あたりから切り立った断崖絶壁になり、トンネルが続く。いくつものトンネルを抜けたところに、ちょこんと小さな家並みが現れる。濃昼は絶壁と絶壁のすきまの狭い平地にできた集落なのだ。令和2年時点での人口は、世帯数7戸、総数12名。今はもっと減っているように見える。
そんな陸の孤島だった小漁村だが、江戸時代からニシン漁が盛んだったらしい。今ではほとんどその面影はないが、ニシン番屋もわずかだが残っている。漁港のすぐそばに建っている派手な赤屋根の大きな建物は、かつてニシン漁で富を築いた「旧木村家住宅」。いわゆる和洋折衷の珍しい番屋で、他ではなかなか見られないオシャレな番屋建築だ。
濃昼漁港は大きくはないが、船も漁師さんたちも現役で活気がある。港の前には獲れたての生タコや魚を小売する小さな直売所があり、車で買いに来る客が何組もいた。
近くにキャンプ場があり、そこを利用する人たちもよく魚介類を買いに来るようだ。集落は、端から端までゆっくり歩いてもほんの10分ほど。山側の一番奥に、廃校になった濃昼小学校と中学校の木造校舎があった。明治30年に開校し、平成4年に閉校、その後民家として使われていたらしいが、今は使われておらず、雑草に覆われていた。とても絵になる建物なので、このまま廃屋になってしまうのはもったいないな、と思いつつ、ぐるりと見渡すと、校舎の右奥にはひっそりと、濃昼神社の鳥居が鎮座していた。
濃昼は、特に見どころがあるわけでもない小さな漁村だが、どこか表現しがたい不思議な魅力のある集落で、その魅力を解明するためにも、機会があればもう一度訪れたいと思っている。
※『ふるさと再発見の旅 北海道』より一部抜粋