岐阜県恵那市明智町

岐阜県恵那市明智町
産業編集センター 出版部
2024/10/16 ~ 2024/11/13
岐阜県恵那市明智町

【旅ブックスONLINE 写真紀行】
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大正の町としてよみがえった古き山村

 岐阜県恵那市の最南東部、愛知県との県境にある町が明智町《あけちちょう》だ。2004年の合併以前は明智町として独立していたが、それ以降は恵那市の町名としてその名が残っている。明智、と聞けば、歴史好きならずとも思い出すのが明智光秀。本能寺の変で織田信長を討った人物として知られている。この明智町には光秀ゆかりの場所といわれるところが散見されるが、ここは明智光秀の出身地ではなく、可児市がそうだともいわれている。諸説あって、どれが正しいかは不明だが、町には光秀公産湯の井戸なども残されており、遠い時代の歴史上の人物に思いを馳せるのもまた一興だ。
 明智は、江戸時代は飛驒と岡崎を結ぶ南北街道と名古屋から長野までを結ぶ中馬街道が交わる交通の要衝として発展した。特に、中馬街道は、三河湾で作られた塩を山間部まで運ぶための塩の道で、往時には大勢の人々でにぎわいを見せたらしい。
 明治になると養蚕製糸業が栄え、大正時代には最盛期を迎える。町の中心部から少し離れたところに「うかれ横丁」という古い町並みがあるが、旅人や馬子を相手に酒やうどんを売る店が並んでいた通りで、大正時代にはここを歩くだけで人々は〝うかれ〞気分になったという。
 しかし、昭和に入ると製糸業は下火となった。栄華は遠く昔のこととなり、昭和五50年代に入ると明智町は急速に過疎化していった。寂れてゆく町を復活させるために計画されたのが、明智に大正村を建設することだった。こうして、昭和63年に日本大正村が誕生。明智町が一番輝いていた大正時代の建物をそのまま活かして、往時のままの懐かしい町並みを再現。まるでタイムスリップしたような町づくりに成功した。
 実際に町を歩いてみると、町庁舎として使われていた大正村役場、大正ロマン館、大正時代館など、大正時代の建物がその時代の空気をしっかりと今に伝えている。特に、白と黒のコントラストが鮮やかな蔵に挟まれた大正路地や絵画館へ続く石畳の道などを歩くと懐かしい気分に包まれてゆく。
 さらに、町中を流れる明智川支流の堀沿いには、昔ながらの格子のある家々が建ち並び、風情豊かな景色を目の当たりにすることができる。
 町は小さい。一時間もあればぐるりと回ることができる。大正時代の建物と昭和時代の建物をそのまま令和の時代に運んできたような、不思議な味わいのある町散歩はいかがだろうか。

*『ふるさと再発見の旅 東海北陸』産業編集センター/編 より抜粋