豆塚猛 写真展「ピカドンのドンが聞こえなかった人々」

豆塚 猛
2025/07/22 ~ 2025/07/27
京都写真美術館 ギャラリー・ジャパネスク
京都写真美術館 ギャラリー・ジャパネスク 2階展示室にて、2025年7月22日(火)から7月27日(日)まで、豆塚猛 写真展「ピカドンのドンが聞こえなかった人々」を開催します。
被爆は人々の記憶から薄れ、戦争の足音が聞こえそうな日々に、被団協のノーベル平和賞のニュースが飛び込んできた。今年は被爆80年。平和への希求と被爆を抱えて生きる、長崎ろうあ被爆者。思い起こせば40年前に長崎に手話通訳者集団が生まれたことから始まる。長崎においては被爆を知らなければ、ろうあ者の暮らしを深く知ることはできない、と被爆体験の聞き書きが取り組まれ始めた。手話通訳者との関係が深かった私に「写真記録してほしい」との依頼が舞い込んだ。お金のない団体、手弁当での長崎詣でが始まった。それから10年近く長崎通いが続いた。
思い出したくない、聞く人もいない、そんな中で、ろうあ者は深い沈黙の海に沈んでいた。
私は被爆、耳が聞こえない、話せない、三重苦を背負って生きてきた彼らを想像して悲惨な人生と考えていたが、初めて会った被爆ろうあ者は明るくて楽天的だった。この人は特別なのかと思って、2人目に会うとやっぱり明るく、ろうあ者の持っている楽天生にすっかり心を奪われてしまった。「どっこい生きている」どんな事があっても笑って生きていく、という楽天的な生き方に彼らの強さをみたような気がした。どんなに辛い思いをしても、抱えても、笑顔で明日に生きるという強さを写真に撮ろうと、方針の大転換をした。カメラも35ミリじゃ存在が写らない気がして、大きなカメラ6×6版に変更して取り組み始めた。
聞き書き調査から始まって、手話で語ることで、どんどん新しい動きが出てきた。
爆風で大きな怪我を負いながらも、家族のことが心配で8時間後、燃え盛る原子爆弾投下地点を通り抜けて自宅まで帰り着いた菊地司さん。その時見た原子野の惨状を語る中で、語り部としての自覚が生まれてきた。自分が若い人たちに、手話で平和の大切さを訴え続けなくては、と大きな目的を持つ生き方は顔つきまで変えていく。
被爆者手帳を持たないろうあ被爆者も発見された。本田政男さんは当時15歳、父親と共に長崎の隣町、諫早で次々と運ばれてくる被爆者の救護に参加。そこで死の灰を浴び、父親はその後死去、被爆者手帳を申請するも当時の本田さんのことを証言してくれる人が見つからず、諦めていた。聞き書き調査がテレビのドキュメンタリーに取り上げられて、2人の証言者が見つかり、被爆者手帳を取得できたこともあった。
撮影した長崎被爆ろうあ者のほとんどの人は亡くなった。けれど、彼らが語り、新しい生き方を見つけ、僕たちに色々なメッセージを残してくれた。人が生きることの素晴らしさ、そして人間の強さを見せてくれた。改めて長崎の手話通訳者、ろうあ者に感謝。
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