富山県南砺市福光

産業編集センター 出版部
2024/10/16 ~ 2024/11/15
富山県南砺市福光
【旅ブックスONLINE 写真紀行】
産業編集センター出版部が刊行する写真紀行各シリーズの取材で訪れた、全国津々浦々の風景を紹介しています。
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百年余の老舗が今も残る小さな商家町
散居村が広がる砺波平野の南西部にある小さな町が福光だ。かつてこの地に清水が噴出していて「噴き満つる」地だったことが地名の由来になっているらしい。
戦国時代までは福光城の城下町や善徳寺という寺の門前町として栄えたが、江戸時代には生糸や麻布の一大生産地となり、さらに五箇山で生産される煙硝や紙などの集散地となったことから在郷町としての歴史も刻んでいる。
現在は、もちろん往時ほどのにぎわいは見られないが、それでもかつての風情が感じられる町並みが今もしっかりと残っている。JR福光駅から歩くこと約10分、小矢部川を渡ってしばらく行ったところにある新町商店街「あさがお通り」がその町並みだ。
金沢への道筋にあたるこの通りには、伝統的な商家の建物が点在しているが、なかでも目をひくのが「石黒種麴(いしくろたねこうじ)店」の建物である。北陸で唯一、全国でも10軒余しかない種麴店のひとつであるこの店は、明治28年の創業以来、130年以上にわたってこの地で麴をつくり続けてきた。かすかに漂う麴の匂いを感じながら店を通り過ぎてその先に進めば、古い建物が連なるなつかしい風景が広がる。驚くほど静かで人影もほとんどない。その静けさが心をじんわりと弛ませてくれる。
日本を代表する版画家の一人である棟方志功(むなかたしこう)が、戦時中に疎開先として選んだのが福光だった。約7年間、南砺の豊かな自然と、浄土真宗の一大拠点であるという信仰心厚い精神風土の中で、棟方志功は精力的に作品を作りつづけた。福光で過ごした時間がその後の彼の世界的な飛躍へとつながっていったといわれている。
民芸運動の創始者である柳宗悦(やなぎむねよし)は、南砺地域の「土徳(どとく)」が、彼に大きな影響を与えたと言い、自らも福光で集大成となる本を書き上げた。「土徳」とは、厳しくも豊かな自然環境の中で、そこに住まう人がその恵みに感謝しながら作りあげてきたその土地の品格のようなものを指す言葉らしい。通りすがりの旅行者にそれを深く理解する時間的余裕はなかったが、それでも古い町並みを歩いていると、わずかだがそのことが理解できるような気がした。
町をあとにして郊外に出ると、いくつかの柿の農園を目にした。聞けば、この福光は富山干柿の産地として知られており、福光地域原産の三社柿(さんじゃがき)を使った干し柿で有名とのこと。加賀三代藩主・前田利常(としつね)公が福光に鷹狩りに来た際、一人の老人が自家製の干柿を献上したところ、その味を激賞。以来、前田家が干柿づくりを奨励したことが、今の富山干柿になったといわれている。
※『ふるさと再発見の旅 東海北陸』産業編集センター/編より抜粋







