中西 建太郎 写真展 “『 境界 』知床岬昆布番屋 最後の夏 ”
中西 建太郎
2018/12/04 ~ 2018/12/16
京都写真美術館 ギャラリー・ジャパネスク
2017 年8月末日、北海道知床岬に程近い赤岩地区で、最後まで現地に踏み留まっていた二軒の昆布番屋(夏季のみ移住により稼動)が正式にその操業を終了し、大正期にルーツを持つ赤岩昆布場の歴史に静かに幕が下ろされた。
公道はおろか公共のインフラ設備(水道、電気、ガス)も一切無く、テレビや携帯電話の電波も届かない陸の孤島赤岩(羅臼方面より小型船舶のみでアクセス)。それはいわば大自然と人間世界の『境界』を最も体現する天地だ。そんな最果ての海辺で、百年という長きに亘り、 日本の食文化を支え続けた人々の営みがあったという事実は、世間一般であまり知られていない。最盛期である 1970 年代には、五十数軒の昆布番屋が赤岩の浜辺に立ち並んでいたそうだ。
かつて、現地で8回の夏(1996 ~ 2003 年)を、取材を兼ねた番屋のアルバイトとして経験していた私は、事前にその情報を得て、歴史を見届けるために、再び彼らと寝食を共にしながら、赤岩で最後の2年の夏を過ごした。
2016 年の夏は慢性的な人手不足を補うため、知り合いの道産子女子高生二人組が赤岩昆布場に参戦、子供たちの叫び声が浜を飛び交った往時の賑わいには到底敵わないが、赤岩の歴史の最後に、若さによる活気と華を添えてくれた。そんな彼女たちと三代目長男坊の活躍と頑張りのお陰で、番屋は台風による未曾有の災害年を辛くも乗り切ることができた。(作品 No.01 ~ 30)
そして、いよいよ 2017 年のラストシーズンは、岬の浅瀬に打ち上がった鯨の死骸と、それに群がるヒグマたちに観光客とマスコミが狂喜するところからはじまった。だが、その熱気とは裏腹に、赤岩を訪れる昆布漁船はシーズンを通してほとんど無く、私がお世話になった成田家も、諸事情により漁師と次男坊の二人きりの寂しい番屋生活となった。一方山のヒグ マたちは、まるで番屋の撤退を知っているかの様に頻繁に出没し、番犬たちとのせめぎ合いの日々が続いた。それでも二軒の番屋に携わる人々は、漁期が終わるその日まで、これまで通りいつもと変わらぬ赤岩の日常を全うした。(作品 No.31 ~ 66)
やがて、人影の消えた赤岩の天地は『境界』に呑み込まれ、その全てが大自然の一部へと帰していくのだろう。しかし、確かにそこに在った人々の営みとその記憶が、今後も未来に向け長く語り継がれていくことを祈って、写真は歴史の記録であるという観点から、彼らと赤岩の最後の姿である本作品を世に送り出そうと思う。
中西建太郎