~簡素化された日常で明確化する、個を構成する要素~
中国の油田都市で生まれ育ち、2006年に来日。 日本写真芸術専門学校フォトクリティックゼミを卒業後、商業写真関連の仕事を東京と上海でされている、写真家の田さん。第19回写真「1_WALL」グランプリである「生きてそこにいて」をはじめとする作品制作にも精力的に取り組んでいます。
本展では、上海で短期滞在した中で出会った、他の国や都市からの移住者たちの姿と、その居住空間を記録した作品が並びます。田さんが切り取る簡素化した彼らのパーソナルテリトリーからは、必要最低限の日常と、生きる上でなくてはならない、個人を構成する核となる部分がより顕在化されて写し出されます。
――本展開催に至るまでの経緯を教えてください。
初めて日本に来た時は、写真とは無関係の仕事に就いていて、会社が用意したワンルームの社宅で暮らしていました。生活必需品は揃っていたものの、ベッドを置いたら他には何も置けないくらい!とにかく狭かった(笑)
その後、写真関連の仕事に転職し、上海で短期滞在することになりました。住む場所を調べている中で、たまたま見つけたのが外国人向けシェアハウス。上海という新しい地で、長期的に生活したいと考えている人たちが暮らしていました。彼らの部屋からは必要最低限の生活が見受けられるとともに、僕がかつて暮らした簡素なワンルームを彷彿させました。
――その感情は「共感」だったのでしょうか?
そうだと思います。将来に対する漠然とした不安を抱えているところは、かつての僕と重なりました。2002年頃、学生として中国で暮らしていた当時は、海外からの移住者がまだ少なく、その大半は先進国から来た、英語を母国語とする人々だったので、語学教師として働く人が多い印象でした。ですが現在は、外国人労働者が増えたため、語学教師の需要が少なくなっています。その上、上海の物価は年々高騰しているので、彼らが置かれている現状はとても厳しいと思います。
――そもそも彼らは、何を求めて上海へ渡ったのでしょうか?
自己実現のためだと思います。今は簡素な部屋で生活しているものの、いずれはこうなりたいという理想像を皆さん持っています。そもそも異国の若い人たちにとって、中国のイメージは昔のままか、もしくは漠然としたものでしかないのだと思います。中国に渡れば、語学教師としての需要はもちろんのこと、自国では得られないビジネスチャンスが転がっているのではないかという期待を抱いていたのでしょう。実際には、想像以上に厳しい現実と直面することになったのだと思います。
――厳しい現状に伴う必要最低限な生活環境とのことですが、皆さんの部屋にはそれぞれ「個性」も見受けられますね。
必要最低限な部屋だからこそ、彼らのライフスタイルや趣味、大切にしているものなどが明確化し、その人らしさを見出すことができるのだと思います。例えば、ポストカードを撮影したこちらの1枚には、家族への温かな想いが詰まっています。
また、こちらの英語教師の女性は、当時お隣に住んでいました。彼女はよく幼馴染の女性と昼間から飲んでいて(笑)そんな普段の様子が写真から想像できるところも面白いと思います。
――特に印象に残っている作品を教えてください。
素の表情が印象的な、こちらの1枚!本作品では、 いずれも部屋の中にある被写体の個性が分かるものと一緒に写すよう意識をしていたのですが、こちらは意図せずシンプルな構図になりました。純粋なポートレートになったところも良かったのではないかと思います。
――ご自身の部屋という、パーソナルテリトリーでの撮影という点も関係しているのかもしれませんが、被写体の皆さんのリラックスした表情が目を引きますね!
僕は普段から、4×5の大判カメラで撮影をしているのですが、カメラの準備に15分程時間がかかります。なので、その時間は準備をしながら相手とコミュニケーションを取るように意識しています。リラックスしてもらえないと、なかなかその人らしさが表情に表れないので、撮影前にどれだけ相手の緊張をほぐすかが重要なのです。
――普段から大判カメラを使用されている理由とは?
撮影のプロセスを緩めるためです。デジカメの場合、構図さえ決めれば、すぐに撮影できます。ですが、大判カメラの場合は、そのプロセス一つひとつを自身で決める必要があります。その過程を経るからこそ、よりスタティックなものが撮影できるのだと思いますし、僕の撮影スタイルによく合っています。
――その撮影スタイルは、第19回写真「1_WALL」グランプリを受賞した「生きてそこにいて」にも通じますね。本展に繋がる要素はあるのでしょうか?
直接的な繋がりはありませんが、「生きてそこにいて」は僕のバックグラウンドに深く関わる作品なので、作品制作の根底にあるものに影響を与えていると思います。僕が生まれた町は、石油の産出で注目される以前は本当に何もない、いわゆるニュータウン。そのため、その地に根ざした風習や伝統などはなく、愛着も薄いのです。
そんな経緯もあり、中国の方言を収集するプロジェクトにも参加していますが、一部の土地にしかない方言や風習を知ることは本当に面白い!僕の故郷にはないものなので、余計に惹かれる部分があるのかもしれません。本展との違いとしては、僕の故郷の人々は様々なところからやって来て一つの町を作り上げた人たち。その反面、本展の被写体たちは、既に出来上がっている上海という都市に夢を抱いてやって来た人たちです。
――本作品で扱う海外からの移住者という被写体は、多くの写真家によって撮影されているテーマでもあります。それらと差別化している点について教えてください。
本作品に既視感を感じる人は多いと思います。僕自身、あまり興味が惹かれない部分が最初はありましたが、撮影を重ねる中で、被写体との「親密感」が、他と差別化できる点ではないかと思いました。実際に被写体の人たちとシェアハウスで生活を共にし、上海でどんなことをやりたいのかなどを話し、お互いを理解しようという過程を経たからこそ、写し出せた部分があります。
――最後に今後の作品制作への展望を教えてください。
さらに撮影を重ねて、テーマをより深く掘り下げていきたいです。また本シリーズとは別に、日本の主要道路を継続的に撮影しているシリーズも手掛けているので、こちらも本腰を入れていきたいです。
まだ風景写真しか撮影していないので、この中にポートレートをどう加えようかと考えています。風景だけだと物足りなく感じるので。
――その「物足りなさ」はどこから生じているのでしょうか?
ポートレートは、多くのことを伝えてくれると思うのです。過去や大切にしている文化などは、その人の顔や身に付けている衣装から見えてくるものがたくさんあります。
このことは、「生きてそこにいて」を撮影する中で特に感じたことでもあります。僕の故郷の変化を撮影する際、最初は廃墟を中心に撮影していました。廃墟は最も変化に直結している部分であり、現状のイメージそのものでした。ただ撮影を進めるうちに、固定概念通りの写真を撮ることは、僕のやりたいこととは異なると気付き、廃墟以外の風景や幼馴染のポートレートを入れてみたところ、これが僕の作りたかったものだなと感じました。
居住空間とは、そこで暮らす人の性格や嗜好を反映する小さな箱。日々の生活の基盤であるとともに、最も安全な場所として心の拠り所にもなりますし、そこに自分らしさを見出すことで精神の安定にも繋がると思うのです。
本展では、そういった個人を構成する要素が詰まった居住空間を切り取ることで、海外からの移住者たちが抱える不安や焦り、それらを凌ぐ将来への希望など、目には見えない想いが写し出されています。ぜひ会場で作品をお楽しみください!
【田 凱 写真展「Dwelling Unit」】
会場:Totem Pole Photo Gallery
会期:2020年8月25日(火) 〜 2020年9月6日(日)
12:00-19:00(月曜休館)
公式ホームページ http://tppg.jp/member/den%20gai/03.html
田 凱さん 公式ホームページ http://tiankai.art/