横内 勝司

Yokouchi Katsuji
(1902-1936)

明治35年11月生まれ。後に大正ロマンと呼ばれる華やかさと不安が混在する時代に多感な青春期を過ごした横内は、裕福な農家に生まれた幸運もあり、まだ一般に普及していなかったカメラを手に入れた。そして農作業の傍ら独学で写真撮影の技術を学び、自宅周辺での日常を撮り始めた。仕事を終えると野良着を脱ぎ捨て、スーツ姿で夜の社交場へ出かけた彼には、様々な意見や先進的な考えと積極的に交わり、貪欲に知識を得ようする社交家の一面もあったようだ。また、山岳写真家の先駆けとしてアルプスの三千メートル級の山々に登り、スキーで厳冬期の樹氷林を行き、ある時は馬に跨がり高原を駆け、またある時は鉄馬を駆って疾走する、なんともカッコよく粋でお洒落なダンディだ。

写真がまだ晴れの日の記念でしかなかった昭和初期、ガラス乾板と暗箱式カメラでのスナップ撮影という未知の分野にチャレンジし、文字とイラストによるものが大半だった広告の分野でも将来の写真表現の可能性を見据えていた彼だったが、昭和11年8月、彼自身の死によりそれらが結実することはなかった。写真文化の面で欧米より遙かに後発である当時の日本にこれほどの写真家が存在したことは驚きであり、誇らしくもある。
だが、彼の死後この国が迎えた激動の歴史に埋没し、その存在を知る者は地元松本でさえほとんどなく、まさに存在するのが早すぎた天才写真家と言える。