【あの人に聞きたい 第1回】 「フォト俳句」で写真の新しい表現を楽しむ

インタビュー / 2017年9月19日

京都写真美術館のアーカイブ作家を紹介するコーナーです。
第1回は、写真と俳句のコラボ展をされた中田健造さんと沼田庸さんをご紹介します。


中田さんと沼田さんは共に東京写真専門学校2部で写真を学んだ旧知の仲です。卒業後はそれぞれの道を歩みながら親交を続け、お互いの定年退職を機に再会。中田さんは写真、沼田さんは俳句と書という、それぞれの得意分野を生かした「フォト俳句」の作品づくりを始めたそうです。お二人の思い出話やこれまでの活動、「フォト俳句」について伺いました。
※フォト俳句とは、俳句・川柳など五七五の十七音からなる日本語の定型詩と写真を組み合わせた新しい表現です。全国に多くの愛好者がいます。

出会いは約50年前
共に写真技術を学んだ仲

——まずはお二人の出会いを教えてください。

月に一度、お互いの家の中間地点である東京・立川の喫茶店「ルノアール」で落ち合い、写真や俳句を見ながらいろいろな会話をしている二人。2014年1月頃から始めて以来、1カ月に1回の例会として逢い、写真を選ぶ作業を続行中。

中田 1968年です。お互いフリーカメラマンを目指して、会社勤めをしながら東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ専門学校)の夜間部で写真を学びました。僕は2年間、“沼ちゃん”(注:沼田さんのあだ名)は1年間。僕は会社に辞表を出したのに、沼ちゃんは辞めずに会社に戻っちゃったんだよ(笑)

沼田 いや、俺も辞表出したから! 辞めさせてもらえなかっただけで(笑)。でも懐かしいですね。当時は、終業後に三鷹の会社から御茶ノ水の学校まで通って授業を受けました。俺と“おやじ”(注:中田さんのあだ名)は帰り道が同じだったから、よく連れ立って帰っていたんです。一番気の合う仲間ですね。

中田 課題の作品づくりのため、休日になると一緒に撮影して回ったのを覚えています。夏休みを利用し三陸の浄土ヶ浜や、伊豆諸島の三宅島へ撮影旅行に行きました。楽しかったよね。卒業後も年賀状を交わしながらつながっていました。

沼田 個展の案内をもらうたびに顔を出していましたが、きちんと再会したのは2008年に会社を定年退職した後でしたね。

中田 そのときに沼ちゃんが「俳句と書道」を勉強していると聞き、二人で「フォト俳句」の作品を作ってみようと話が盛り上がったんだよね。作品の数がある程度たまってきた頃、ギャラリーに応募したところ審査が通り展示できることになりました。テレビ番組「プレバト!!」の夏井いつきさんの影響で写真俳句ブームということもあり、多くの方に注目していただきました。

——お二人はどのように「フォト俳句」を作っているのですか?

中田 2017年6月にシリウスで展示をした時も、来廊された人たちから「写真と俳句のどちらを先につくっているんですか」と質問されました。これはね、僕が撮った写真に沼ちゃんが俳句をつけてくれているんです。俳句が先だと考えすぎて撮れないですね

毎月の選んだ写真作品を台紙に貼り、俳句を添えたもの。クリアブックにまとめていて、現在は15冊目へ進行中…。

沼田 “おやじ”が毎日撮りためた1カ月分の写真約300カットの中から、俳句になりそうな4〜6点の写真を僕が選んでいます。

中田 その写真を僕がプリントして台紙に貼ったものを渡すと、翌月までに沼ちゃんが俳句を詠んでくれます。写真1枚につき5〜6句くらい。写実的なんだけど、温かみのある句なんですよ。でも「写真に季節感が入ってない」っていつも怒られているんです(笑)

沼田 俳句だから季語が必要なんだよ(笑)。「フォト俳句」はいつも俺が詠んでいる俳句とはちょっと違います。写真が主体になるため、できる限り忠実で写実的になるよう意識して詠みます。また、作品を見た人の気持ちが明るくなるように、人間味のあるわかりやすい言葉を

それぞれの道を歩み
写真と俳句という表現に取り組む

——ところで、中田さんは東京ビジュアルアーツ専門学校の講師として活躍されてきたわけですが、写真の道に進んだきっかけや、写真を通して得た経験などを教えてください。

「青函トンネルの掘削現場で働く人たちを撮っていたのは僕くらいでした」と話す中田さん。後にNHKの番組内で写真が使われるなど、歴史を伝える上で貴重な記録に携われたことは忘れられない経験だったと言います。

中田 僕が写真を学ぼうと思ったきっかけは、企業で働き始めて数年目の頃に「このままでいいのか?」と将来について考えるようになったからです。偶然見かけた専門学校の広告を見て「やってみようかな」と入学を決めました。卒業後は恩師・水本一義先生の勧めで講師として学校に残り、写真の実技を教えてきました。今や、カメラは僕の生命線です(笑)

一番の思い出は、13年間にわたり青函トンネルの掘削現場を取材したことです。朝一番の作業員と一緒に地下240mの海底トンネルに向かい、工事現場で働く男たちを撮って回りました。夏期・冬期の長期休暇を利用して1週間ほどの行程を組み、現場の寮に泊めてもらいながら。不思議なことに地下240mの海底トンネルにいると人恋しくなるんですね。だから、働いている男たちの姿をよく撮っていました。あのような体験はそうできるものではありません。2回の写真展と写真集『男たちの海峡』としてまとめた時に初めて僕が撮ってきたものを人に見せることができました。

定年退職後の現在も非常勤講師としてエネルギッシュな若者たちと触れ合えるのはありがたいですね。一方で学生に教えている以上は、自分が何をやっているかを見せなければならないと考えています。何もないとみっともないじゃないですか。だからここ数十年はどこへ行くにもカメラを持参し、1日10カット前後を毎日撮っています。いわゆる写真絵日記ですね。「フォト俳句」で使っている写真は、僕が撮った「写真絵日記」からセレクトしたものです。

——沼田さんが俳句を始めたきっかけを教えてください。また、俳句を詠む際に意識していることはありますか?

俳号「心財(しんざい)」は、「蔵の財より身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり」という日蓮大聖人の崇峻天皇御書の一節で、心の財を積んでいくことが大事だという言葉に由来するのだと教えてくれました。

沼田 俳句を始めたのは50代になってからです。高校時代まであまり本を読んだことがなかったのですが、父の夏目漱石全集の『坊ちゃん』がきっかけで本を読むようになりました。その後、司馬遼太郎の『坂の上の雲』に登場する正岡子規や夏目漱石の影響を受けて俳句に目覚め、図書館やインターネットで勉強しました。2008年のことです。

普段からメモ帳を持ち歩いて、ふっと浮かんだ俳句を書きとめられるようにしています。不思議なもので、“おやじ”の写真の俳句は、静かな部屋でじっと考えていても詩心がないときは何も浮かびません。むしろ、行きつけの喫茶店などで適度なざわめきの中で写真を観ていると詩心がわいてきて、一気に5〜6句できてしまうんです。これまでに詠んだのは2000句ほどでしょうか。まだまだ遊俳で、勉強が必要です。

俳句を詠むとき大切にしているのは、読んだ人が生きがいを感じるようなわかりやすい言葉を使うことです。日常に生きる希望や安心感が生まれるような俳句を詠んでいきたいですね。また、将来、子どもたちに自分のやってきたことを形に残しておきたいという思いもあります(笑)

中田さん愛用のカメラ「Canon G9」(右)と、沼田さんが持ち歩いているメモ帳(左)

これからも写真と俳句のコラボで
心が和む作品づくりを楽しみたい

——最後に、今後の展望を教えてください。

中田 僕たちも、展示させてもらったギャラリーも、「フォト俳句」の展示は初めての試みのためお互いに不安はありましたが、やって良かったと思います。多くの方が来廊されて、いろんな交流がありました。

沼田 青春がよみがえってきたよね。俺は、来廊された方に「心がなごむ」と言ってもらえたのが嬉しかったです。「フォト俳句」という一つのジャンルに興味をもつ人が増えると嬉しいです。

中田 沼ちゃんの俳句が良かったからね。僕の写真に合わせて良い俳句を詠んでくれたおかげだよ。ギャラリーの方も喜んでくれたことだし、2〜3年後に第2弾をやりたいですね。

「一気に作品にまとめようとするとできないけれど、毎月数作ずつならできるんだよ」。時勢も影響するため、臨場感が出てくるのだと教えてくれました。

作品に使う写真を選ぶお二人は楽しそうで、笑い声が絶えない取材でした。東京写真専門学校時代のお話はとても興味深く、写真や作品づくりを楽しむという根本を教えていただきました。お二人の今後の活躍が楽しみです。

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【京都写真美術館Webアーカイブ】
沼田庸・中田健造「春・夏・秋・冬〜俳句・写真」
展示期間:2017年6月8日(木)〜14日(水)
展示会場:アイデムフォトギャラリー「シリウス」
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