~生きるパワー渦巻く香港の根源を求めて。香港デモを追った8か月の記録~
キセキミチコさん 写真展 「A complicated city」が、12月20日(日)まで四谷三丁目駅より徒歩5分ほどのところにあるギャラリー・ニエプスで開催されています。音楽を中心に、ドキュメンタリー、ファッションなどの撮影に取り組まれている写真家のキセキさん。2019年7月、作品制作のために香港へ渡り約8か月間滞在。そこで目の当たりにした香港民主化デモを最前線で追い続けました。
2019年12月に一時帰国し、ギャラリー・ルデコで「2019年 香港 私の悲しみと祈り #まずは知るだけでいい展」を開催。香港で目にしたデモ隊の若者たちに対する非人道的な行いへの悲しみと、これ以上彼らが傷ついて欲しくないという祈りを込めた写真展は、大きな反響を呼びました。
本展の題材は再び「2019年の香港」。前回の展示とは打って変わり、全点モノクロ作品で構成されています。また本展に並ぶ写真にはデモの様子だけではなく、香港市民の「日常」が写し出されています。キセキさんは何を求めて本作の撮影を続けたのか。一人の写真家として、香港の現状と向き合い続けた8か月の軌跡について、お話を伺いました。
生きるパワー渦巻く街・香港
――幼少期はお父様の仕事の関係で外国を転々とされていて、香港でも3年半ほど暮らされていたそうですね。その後、2017年に再び香港を訪れたとのことですが、そのきっかけはなんだったのでしょうか?
フリーランスの写真家として主に音楽業界での撮影を10年ほど続けてきました。仕事に対するやりがいはありましたが、人間関係や写真家としての在り方への限界も感じはじめていたんです。そんなとき、ふと幼少期を過ごした香港の地を再び見てみたくなり、2017年7月に3泊4日で香港を訪れました。
――数十年振りに訪れた香港はいかがでしたか?
街中に溢れる「生きるパワー」に圧倒されました。撮影を重ねるうちに、この強烈なパワーはどこから生じているのだろうか、そして、香港市民は何を思って生きているのだろうかという疑問が頭をもたげ、その理由が知りたくなりました。そこで、2019年7月から約半年間仕事を休み、再び香港へと向かったんです。
民主化デモに揺れる香港を訪れたのは、偶然ではなく必然
――当初は香港の日常を撮影される予定だったものの、なんの偶然か香港で大規模な民主化デモと遭遇されたのですね。
そうなんです。香港のデモについては、テレビなどで得た断片的な情報しか持ち合わせていなかったので、実際に騒然とした街の様子を目の当たりにしたときはとても驚きました。デモの参加者たちが警官によって地面に押し付けられ、警棒で殴られ、どんどん逮捕されていく。しかも参加者は若者ばかり。目の前で繰り広げられる光景をすぐには受け入れられませんでしたし、「私の記憶の中の香港はどこにいってしまったのだろうか」と呆然としてしまいました。そんな状況下でも、ただひとつ明確だったことは、写真家としてこの光景を写真に残さなくてはならないという思いだけ。今にして思えば、私がデモの渦中にある香港を訪れたことは、偶然ではなく必然であったようにも感じます。
――7月中旬頃から約8か月間、香港デモの撮影を続けたそうですね。デモの参加者たちについて教えてください。
参加者の大半は学生。彼らは昼間学校へ行き、夜はデモに参加をするといった生活を送っていました。10代、20代という若い世代が、青春という限られた時間を犠牲にしてまで、自分たちの居場所を守るために声を上げ、血や涙まで流して戦っている。彼らに「なぜ戦うのか?」と問いかけると、「わたしたちは自分たちのために戦っているのではない。次の世代の子どもたちに、こんな香港を残さないために今行動するしかないのだ」といった返答が返ってくるのです。もちろん暴力に訴えることは間違っていますが、彼らの捨て身な叫びを見て見ぬ振りすることは、私にはできませんでした。
――その反面、デモ参加者の親世代である30、40代くらいの人たちは、積極的には声を上げづらい状況にあったそうですね。
そうなんです。生活のためにも仕事を辞めることができない大人たちは、前線で戦う若者たちのサポートに徹していました。例えば、食糧やヘルメットなど物資の提供、家出をしながらデモに参加している若者たちの保護、親中派のお店での不買運動、警察による取り締まり情報の共有など。前線に立てなくても、別の形で戦っていた人は多くいたのです。
香港市民の犠牲の上に成り立つ繁栄
――本作の撮影を経て、香港の街中に溢れる「生きるパワー」の手がかりは得られましたか?
その根源を見つけることは出来ませんでしたが、香港市民の窮状は垣間見えました。香港といえば、世界屈指の金融都市として経済発展著しいイメージがありますが、金融街から一歩裏へ入ると街市と呼ばれる市場が広がっていたりと、明確な生活格差が存在しています。
そして、そのような格差は香港市民の日常の中に潜んでいます。例えば、住宅問題。香港を象徴するような高層ビル群で暮らしているのは、中国やシンガポール、欧米諸国などからやって来た富裕層と、一部の香港市民だけ。その他の香港市民は、狭小で劣悪な住環境で暮らしています。また、富裕層による住宅の買い占めは住宅不足を引き起こしており、香港の地価や物価の高騰に拍車をかけています。そのため、香港市民の収入の大半は高額な家賃に消えていくのです。つまり富裕層が享受している香港の繁栄は、香港市民の犠牲があってはじめて成り立っているのですね。
――本展のタイトル「A complicated city」には「複雑な都市」という意味がありますが、香港の現状はまさに「複雑」ですね。
そうですね。香港には様々な国に翻弄されてきた複雑な歴史的背景もあります。そもそも1997年に中国へ返還されるまでの約150年間、香港はイギリスの植民地でした。そのため民主主義が根付き、めざましい経済成長を遂げたのですね。また東洋と西洋が融合した文化は、香港独自のアイデンティティの形成にも繋がりました。そして中国へ返還される際、香港基本法に基づき50年間、「一国二制度」が維持されることが約束され、中国の特別行政区として独自の法制度や表現の自由などの権利が保障されたのです。しかし、昨年の香港デモの引き金となった「逃亡犯条例」改正案や、本年7月より施行された「香港国家安全維持法(以下、国安法)」は、それらの権利や彼らのアイデンティティを脅かすものでした。
アイデンティティという観点では、母国語である広東語が北京語へと統一されつつあるという問題もあります。また、デモを行う若者たちが置かれている状況もとても複雑。彼ら自身は香港生まれ香港育ちであっても、その親は中国出身ということもあります。すると、親戚が中国にいるため親は親中派となり、家庭内でも意見が対立する場合があるんです。香港はこの他にも多くの複雑な問題を内包する都市であると言えます。
――なるほど。香港市民が戦う理由は、そのような複雑な日常の中にこそあるのでしょうね。ですが、私たちが目にした2019年の香港は、デモの様子をとらえたセンセーショナルな光景ばかりであったとも思います。
そうなんです。だからこそ本展では、どうしても香港の日常を見て欲しかった。なので展示の冒頭に、日常をとらえた写真を並べました。もちろん写真だけでは、香港が内包する問題の全てを伝えることはできないかもしれませんが、彼らの現状を少しでも可視化したいと思ったのです。
「2019年の香港を記録し続けたことは揺るぎない事実。
その出来事を風化させないためにも、写真で想いを伝え続けたい」
――前回の展示からの約1年間、香港を取り巻く状況はもちろんのこと、世界的にもコロナ禍により変化を余儀なくされましたね。キセキさんご自身の心境にも、なにか変化は生じましたか?
本年2月に香港から帰国し、仕事へ復帰しようと思った矢先のコロナ禍で予定していた仕事が一気になくなり、だいぶ落ち込みましたね。また7月には、「国安法」が施行されました。デモの撮影時、ある香港市民は自身の心境について「無力感でいっぱいだ」と言いました。まだデモが頻繫に行われていたので、当時の私はその言葉の真意を理解することは出来ませんでした。しかし、コロナ禍により香港へと駆けつけることすら出来なくなってしまった現在の状況下では、その言葉の重みを少し理解することが出来るような気がするのです。
――「国安法」の施行により、香港との関わり方も変化を余儀なくされているのですね。では今後どのように向き合っていこうとお考えですか?
私が2019年の香港で彼らとともに催涙弾を浴び、青い水を被り、その光景を記録し続けたことは揺るぎない事実ですし、私が見てきたものは決して変わりません。私の武器はやはり写真なので、私の目線でとらえた香港をこれからも撮り続けていきたいです。そして、あとはもう伝え続けるしかないと思います。人々の関心を引き留め続けることは難しいですが、あるデモ隊の若者に託された「2019年香港で起こったことを忘れないで欲しい」という想いを胸に、今後も向き合い続けていきます。
――香港に関する報道は顕著に減っていますし、日本の人々の関心が次第に薄れていってしまうことは避けられない事実だと思います。その背景には、私たちが香港の現状を対岸の火事してとらえている側面もあるのかもしれませんね。
香港の問題は、私たちにとっても他人事ではありません。なぜなら香港に限らず、同様のことは世界各地で起こっているからです。またこのような問題は、人々の無関心が状況の悪化に拍車をかけている部分もあると思います。私自身、2019年の香港で彼らと出会うまでは世の中の動向に無関心でした。ですが、目を背けたくなるような現実とも向き合い、自身の想いを伝えていくことの重要性を香港で教わり、私の考えにも変化が生じました。
そして今思うことは、日本がもっと自由に発言できる場であって欲しいということ。香港では現在、完全に言論統制がなされていますが、日本は言論の自由が保証されています。であるにも関わらず、私たちは自分たち自身で自由な発言がしにくい空気を作り出していると感じることが多々あるのです。コロナ禍により、日本国内においても様々な問題が顕在化しました。そのような社会問題がもっと気軽に人々の会話にのぼればいいのになと思います。
――たしかに日常会話の中で社会的な発言が多いと、ちょっと面倒な人だと思われてしまうこともありますよね(笑)
そうなんです。日本では、専門家ではない人が社会的な発言をすること自体タブー視されているように感じます。私自身、ジャーナリストではないので、香港での活動をSNSなどで発信することにより、距離を置かれたり、扱いが面倒だといった反応もされました。こういった問題を自分とは関係がないこととして切り離して考えることは簡単ですが、そういった無関心が事態を悪化させるとも思うのです。私たちが享受している豊かさや自由は、決して当たり前のものではありません。私たちがすでに手にしているものの価値について、改めて見つめ直すことも大切です。そして、2019年の香港に起こった出来事が風化しないよう、私は写真で想いを伝え続けたいと思います。
【キセキミチコ 写真展 「A complicated city」】
会場:ギャラリー・ニエプス
会期:2020年12月5日(土) 〜 2020年12月20日(日)
13:00~19:00
https://www.niepce-tokyo.net/
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