大分県大分市戸次本町

大分県大分市戸次本町
産業編集センター 出版部
2023/04/13 ~ 2023/05/14
大分県大分市戸次本町

【旅ブックスONLINE 写真紀行】
産業編集センター出版部が刊行する写真紀行各シリーズの取材で訪れた、全国津々浦々の風景を紹介しています。
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帆足本家を中心に古い建造物が点在する

大分の市街地から国道10号を南下して、大野川にかかる白滝橋を渡ったあたりに広がるのが戸次地区である。大野川の水運や日向街道の交通の要衝として栄え、江戸時代に市場ができると商家の町としてさらににぎわった。
 なかでも莫大な財を成してこの町に隆盛をもたらした商家が帆足家である
 帆足家は、12世紀のはじめに守護大友氏の家臣となり、江戸時代には臼杵藩治下の大庄屋として戸次の町を取り仕切った豪農である。その後、酒造業を手掛け、巨万の富を築くことになる。いわば戸次は帆足家の町といってもいいだろう。
 その帆足家の本家と酒造蔵が、戸次の中心地に残っている。本家の建物は国の登録文化財に指定され、酒造蔵は昭和47年まで使われていたが、廃業後、大分市に寄贈された。現在は保存修理工事が施され、井戸、釜場、仕込蔵、貯酒蔵など、ほぼ明治時代のころの姿に復元されている。
 この帆足本家酒造蔵を中心に、戸次本町には昔の商家町の雰囲気を今に伝える建物が、随所に残っている。例えば、安政3(1856)年の旧料亭富士見楼、明治2年の旧呉服屋塩屋、明治18年の旧呉服店万太、明治32年の二十三銀行出張所……など。
 その中の一つ「松石不老館」は明治39年に再建された帆足家の分家で、そこを度々訪れていた帆足杏雨が、庭の松と石の配置が素晴らしいと命名した家だ。杏雨は帆足家の四男で、帆足家と親交のあった文人画の大家・田能村竹田の弟子となり、自らも南画家として活躍。明治六年のウィーン万博に作品が出展されるほどだった。帆足家はまた、頼山陽とも親交があり、経済だけではなく文化面でも戸次を支えていた。
 こうした歴史の物語が数多くある戸次だが、実はごぼうの産地としても知られている。この町に富をもたらした大野川は同時に大きな苦難ももたらした。何度となく氾濫し、そのたびに多くの家屋が流され、町は甚大な被害を受けた。しかし、その氾濫によって大野川流域には石が少ない肥沃な土が運ばれた。その土壌を利用して作られたごぼうは、やわらかく風味がよく、「白肌ごぼう」と呼ばれて戸次の名産品となった。今では、戸次の町のあちこちで、ごぼうかりんとう、ごぼううどん、ごぼうキャラメルなど、戸次ごぼうを利用した商品を見つけることができる。ほんのりした甘さが特長のごぼうかりんとうでもつまみながら、戸次本町あたりを散策してみてはいかがだろう。

※『ふるさと再発見の旅 九州1』産業編集センター/編 より抜粋