香川県三豊市仁尾町

香川県三豊市仁尾町
産業編集センター 出版部
2024/04/15 ~ 2024/05/15
香川県三豊市仁尾町

【旅ブックスONLINE 写真紀行】
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海上交易と製塩業で栄えた町

 香川県西部、いわゆる西讃(せいさん)地域の商工業の一大中心地として栄えた歴史を持つのが三豊市の仁尾である。中世から瀬戸内の海上交易の拠点となり「千石船を見たけりゃ仁尾へ来い」と言われるほどのにぎわいを見せたといわれる。江戸時代には、四国でも有数の名家である塩田家の塩田忠左衛門(しおたちゅうざえもん)が製塩業を興し、長く仁尾の町を支えた。
 江戸時代後期には多くの豪商が生まれ、大店が軒を連ねる仁尾の町は大いに活況を呈していたという。しかし、明治時代になると豪商たちは次々と没落し、残念ながら現在の仁尾にその繁栄の軌跡を見ることはできない。唯一、寛保元(1741)年創業、県内最古、約280年の歴史を誇る中橋造酢の建物がほぼ往時のままに残り、繁栄の歴史を今に伝えている。現在もこの醸造所で造られている仁尾酢は、香川県を代表する銘品のひとつとして知られている。
 大きな通りを町の中心部に向かって歩いていくと、覚城院(かくじょういん)という寺がある。寺のある場所は少し高台になっており、高く積み上げられた石垣が印象的だ。それもそのはず、この寺がある場所は、かつて仁尾城があったところなのである。
 仁尾城とは戦国時代に細川頼弘(よりひろ(によって築城された城だったが、1570年代に四国統一を目指していた土佐の長曽我部氏に攻られて陥落してしまった。その城跡に移築されたのがこの覚城院である。しかし、この寺も移築して百年後に焼失。現在残っているのは再建されたものだ。
 仁尾町の東、城山の上にあるこの寺からは、仁尾の町並みが一望できる。昔ながら瓦屋根が連なる風景は味わい深く、見るものに郷愁を感じさせる。それにしてもよくこれだけ古い家屋が残ったものだと感心する。聞けば、この地で製塩業を始めた塩田忠左衛門が、鉄道敷設の機運が高まった時、「この町に鉄道はいらない」と言ったことで鉄道が見送られた。そのおかげで仁尾は開発の波に飲まれることなく、古きき風情を残すことができたのだろう。
 この美しい町並みとともに、仁尾町の宝ともいえるのが「仁尾八朔(はっさく)人形祭り」である。この祭りは旧暦の8月1日(八朔)に合わせて、子供の成長を願う祭りで、町中の家々の軒先に人形が飾られる。壮観かつ華やかな祭りだ。実はこの祭りは、仁尾城が陥落した日が3月3日だったため、本来なら雛祭りが行われる日だったが、陥落の日にお祝いはできないので、お祝いする日を8月1日に変えたのが始まりといわれている。風情ある町の景観はもとより、町の歴史もしっかりと継承されている。

※『ふるさと再発見の旅 四国』産業編集センター/編 より抜粋