橋本 正則 写真展「食菜達の表情」

レポート / 2020年8月20日

~美しき食菜から垣間見える、日本の危うい食糧事情~

会場にて、橋本さん。

富山県立高岡工芸高等学校デザイン科を卒業後、株式会社リコーに入社し、カメラのデザイナーとして活躍された橋本さん。晩年、リコーフォトギャラリーRING CUBE運営リーダーに就任し、ご自身がデザインしたカメラやレンズに囲まれながら働けたことが嬉しかったとのこと。退職後、Art Gallery M84を設立。

本展は、Art Gallery M84 第98回目の個展であるとともに、橋本さんにとっては初の写真展でもあります。2018年からの約3年間、通勤途中に立ち寄った築地や八百屋さんに並んでいる野菜や乾物などを撮影した作品約30点が並びます。多種多様な野菜が一堂に会し、その瑞々しい造形美は圧巻です。

また、本展の野菜には根やひげ、枝が付いているものまであります。普段スーパーで目にする野菜は、いずれも綺麗に整えられ包装された、人の手が加わったものばかり。野菜本来の姿を写し出す本作品の数々には、一見泥臭く、でも逞しい生のエネルギーが満ち溢れていて、お行儀の良い野菜に慣れ親しんだ私たちを強烈に魅了します。

そして、本展のテーマの背景には、コロナ禍で顕在化した日本の食糧問題も潜んでいます。

――本展開催までの経緯を教えてください。

写真に携わる仕事をしている者の一人として、コロナ禍の現状の中で何か出来ることはないだろうかという思いがありました。野菜を撮影する中で、 他国からの輸入依存による在庫不足 や、コロナ感染拡大防止のための店頭での販売形式の変化などを肌で感じたこともあり、本テーマでの展示に至りました。

中央の「なすの酢漬け」は、お客様が自由にトングで選ぶ形式だったが、コロナ感染拡大防止の観点から、現在はアクリルケースに入れられており、お店の人が取る形式になったのだそう。

――なるほど。コロナ禍の買い占めや、外出自粛の影響によりホットケーキミックス等のイレギュラーな食品への需要拡大による在庫不足、各国の輸出規制への動きなど、日本の食糧事情の危うさが報道されていましたね。

そもそも日本の食料自給率は37%程度。主要な先進諸国の中でも最低の水準です。ですが、こういった問題は可視化されにくいため、日常の中で私たちの意識にはなかなか上りません。それがコロナ禍の物流の停滞による食糧不足をきっかけに、日本がいかに他国の輸入に依存しているのかという事実が顕在化しました。私自身、有事の際を想定し、食料自給率を上げていく必要性があることを改めて実感しました。スーパーの店頭に並ぶ、パッケージ化された食品の原産地にまで意識を向ける人は少ない。だからこそ、そこには写真が介入する余地があるのだと思うのです。人が気付かない部分を見せ、それらに思いを巡らせる機会を与えることは写真の役割の一つ。本展をご覧になった方々が、日本の食糧問題について一考するきっかけとなれば本望です。

――ご実家では農業を営まれているとのことですが、橋本さんにとって野菜はやはり身近な被写体だったのでしょうか?

農家に育ったからといって、野菜をまじまじと観察したことはありませんし、むしろ幼少期はうんざりしていた部分もありました。大根が旬の時は、毎日食卓に大根が並ぶといった具合でしたからね(笑) その反動で、都会に出てきた時は食の選択肢の多さには感動したことを覚えています。ただ、今となって思うことは、自分たちが口にするものは自分たちで作るという日常が失われつつあるということ。その背景には、農家の人手不足問題があります。過剰生産となった作物を、お金に変換する仕組みが整っていないので農家の経営は厳しくなる一方ですし、食糧廃棄の問題も生じています。また、労働力の面では外国人労働者に頼りきっているのが現状ですが、コロナ感染症を受けて彼らを取り巻く環境も変化を余儀なくされています。食関連に限っても、こんなにも多くの問題が潜んでいるのだと、コロナ禍の中で改めて気付かされましたね。

――本作品には、問題提起の要素があることはもちろんですが、純粋に野菜の美しさも見どころですね!

「まるでスタジオで物撮りしたかのようですね!」との嬉しい反応もありますが、全て八百屋さんやスーパーの店頭で撮影したものです。店頭で撮影させていただくため、自然光や店頭の照明をどう活かすかという点は常に意識していました。

また、包装していない野菜本来の形のまま店頭に並べているお店が少なくなってきているので、撮影できる店舗を探す大変さもありました。野菜の旬や店舗の入荷状況でもラインナップが変わるので、行ってみないとどんな写真が撮れるか分かりません。その分、見たこともない野菜と巡り合えた時の喜びはひとしおです!

中央のバナナの写真を見て、「食べきりサイズにカットされていることが大半なので、バナナの房の大本部分を見る機会はなかなかないですよね」と橋本さん。慣れ親しんだ食材でも、切り取り方一つで新鮮な発見を得られると気付かされます。

――最も印象に残っている作品を教えてください。

左から、「たまねぎの酢漬け」「ズッキーニ」「大根」。中央のズッキーニを見て、「こんな空飛ぶ円盤のような野菜は初めて見ましたよ(笑)」と嬉しそうな橋本さん。

たまねぎの酢漬けです。赤ともピンクと言えない絶妙な色合いが気に入っています。構図の面では、トングを入れるか入れないかが悩みどころでしたが、その金属感がたまねぎの食菜としての存在感を際立たせていますし、絵に動きが出て面白い!それにトングが写り込むことで、お客様がたまねぎを取る光景を想像させる働きもあります。この1枚が撮れたことは本当に嬉しかった!

――作品の鮮やかな色味にも目を奪われます!

野菜本来の色を再現することにもこだわりました。作品が色褪せたような印象だと、いかにも写真だと思われてしまい魅力も半減です。小さなサイズの作品は昇華型熱転写プリントで、大きいサイズはデジタル銀塩プリント。思い通りの色を出すことは本当に難しく苦戦しましたが、本展の意図を伝える上で、再現性には重きを置いていたので試行錯誤を繰り返しました。

――来場されたお客様からの反響はいかがでしたか?

例えば、「野菜が密になっている」との感想をいただきましたが、これは今だからこその発想で実に面白い(笑)また、最も印象に残っているのは「作品を観ていると写真だというのを忘れ、美味しそうで食べたくなった。これをつまみに一杯飲みたくなる」との感想。これは最高の誉め言葉!野菜本来の色味の再現にはこだわっていましたが、こんな風に言ってもらえるとは思ってもみなかったので、とても嬉しかったです。

新型コロナウイルスという人類にとっての共通の脅威が生じたことで、日常に潜む様々な問題が顕在化しました。感染拡大防止の名目で、各国は速やかに人や物の移動を遮断し、それはグローバリズムに揺らぎをもたらすとともに、自国の有事への備えの不十分さや他国への依存度の高さも表面化させました。その中で見えてきた課題のひとつが、本展のテーマである日本の食糧問題。新たな生活様式を模索している今こそ、私たち一人ひとりが食の面でも意識を変えていく必要があるのではないかと、橋本さんが切り取る美しい食菜を見つめながら思いを馳せました。ぜひ会場へ足をお運びください!

ステートメント

【橋本 正則 写真展「食菜達の表情」】
会場:Art Gallery M84
会期:2020年8月10日(月) 〜 2020年8月22日(土)
10:30〜18:30(最終日のみ17:00まで)
http://artgallery-m84.com/?p=7309