古賀 絵里子 写真展 「BELL」

レポート / 2020年11月13日

~私たちの中に潜む清姫と写真を介して共鳴する作品~

会場にて、古賀さん。ニコンプラザ東京/大阪では、本展の写真集『BELL』(赤々舎)が先行販売中です。会場購入特典としてポストカードも用意されています!つい何度も見返してしまう魅力のある本書を、ぜひ会場でお手に取ってみてください!

古賀 絵里子さん 写真展 「BELL」が、11月16日(月)までニコンプラザ東京 THE GALLERYで開催されています。本展は、10月23日(金)よりリニューアルオープンしたニコンプラザ東京 THE GALLERYにおける、第1回目の記念すべき企画展です。

大学在学中から足繫く通っていた浅草の長屋で暮らす、とある老夫婦の日常を切り取った作品『浅草善哉』で、2004年に「フォトドキュメンタリーNIPPON」を受賞し、写真家としてデビューされた古賀さん。精力的に作品制作に取り組まれ、本作『BELL』のほかに4冊の写真集を出版。また、国内外で個展やグループ展を多数開催され、清里フォトアートミュージアム、フランス国立図書館などに作品が収蔵されています。現在は写真家としての活動を続けながら、京都の名刹・妙満寺の塔頭で暮らされています。

本作「BELL」は、日本で最も有名な悲恋の伝説『安珍清姫物語』と、その後日談から着想を得て制作されました。本作制作の背景には、『安珍清姫物語』を写真作品として表現することへの葛藤や、自身の心の奥底に封じ込めた過去との邂逅などがあったとのこと。写真を介して、清姫と心を通わせた約1年半の軌跡をお聞きしました。

■『安珍清姫物語』とその後日談

『安珍清姫物語』

時は平安時代、奥州から熊野詣に訪れた修行僧の安珍は、旅の途中の宿で清姫という若い娘と出会います。すると清姫は安珍に一目惚れをし、その夜、2人は契りを交わします。旅立ちの朝、行かないで欲しいと懇願する清姫に、必ず帰りに立ち寄ることを約束する安珍。しかし、待てど暮らせど彼は現れません。安珍の裏切りを信じたくない一心で、なりふり構わず彼の後を追う清姫。やっとのことで再会を果たしますが、安珍は人違いであると嘘をつきます。それに激昂した清姫は、大蛇へと姿を変えます。

安珍は道成寺へと逃げ込み、住職によって鐘の中に匿われますが、清姫は鐘もろとも安珍を焼き殺してしまいます。そのとき、大蛇となった清姫の目からは血の涙が流れていました。その後、清姫も川に身投げします。その夜、2匹の毒蛇の姿になった安珍と清姫が住職の夢に現れ、法華経の功徳で成仏させて欲しいと懇願します。哀れに思った住職は翌朝盛大な法要を行い、その晩、天人の姿になった2人が住職の夢枕に立ち成仏しました。

後日談

約400年後、道成寺では焼失した鐘を再鋳するも災害や疫病が続いたため、二代目の鐘は山林へ捨てれらてしまいました。さらに約200年後、豊臣秀吉による紀州征伐の際、家臣の仙石権兵衛秀久がこの鐘を掘り起こし、戦利品として京都へ持ち帰りました。そして、今もなお「安珍・清姫の鐘」として京都の名刹・妙満寺に納められています。

――2018年4月に株式会社 ニコン イメージング ジャパンから、2020年に企画展を開催しませんかとの打診があったと伺いました。その題材として、『安珍清姫物語』を選ばれたのはなぜでしょうか?

いつか『安珍清姫物語』を写真で表現したいという思いが、常々頭の片隅にあったからです。7年前に「安珍・清姫の鐘」が納められている妙満寺の塔頭の住職と結婚したことで、物語がより身近な存在となり、この思いが強まりました。しかし、能楽や人形浄瑠璃、歌舞伎や日舞などの伝統芸能をはじめとし、絵画や小説、舞台や映画など、様々な表現手法で作品化されている『安珍清姫物語』を、写真でどう表現すれば良いのか皆目見当がつかないまま日々は過ぎて行きました。そんなとき企画展のお話をいただき、お受けするならばテーマは『安珍清姫物語』しかないと思い、向き合う覚悟を決めました。

撮影開始前の1か月間、写真での表現方法について考え抜きました。『今昔物語集』や『元亨釈書』などの文献を読み漁り、道成寺のご住職による絵解き説法を拝聴したりもしました。その中で、現代に伝わる安珍や清姫の人物像に違和感を覚えたんです。清姫は一般的に執念深い女、狂女などと言われており、対する安珍は、そんな厄介な女性に魅入られた気の毒な男と表現されることが多いのですが、わたしには清姫が狂女であるとは思えませんし、恋愛においては清姫に共感できる部分すらありました。

――「恋は盲目」とも言いますが、清姫のように想いが強ければ強いほど周りが見えなくなる状態は、多くの人が過去の恋愛で1度は経験したことがある感覚だと思います。

そうなんです。なので、清姫を執念深い女であると笑い者にしたり、頭がおかしい女だと型にはめてしまうのは簡単なことですが、そうすることは、過去の自身の経験をも笑うことにほかならないと思ったのです。そして清姫を、世間一般から与えられているイメージから解放し、自由な姿で蘇らせてみたいという思いが芽生えました。だからこそ、わたしなりの解釈で物語をとらえ直し、現代に置き換えて写真で表現しようと決めたのです。

――本展を拝見していると、物語に沿って揺れ動く清姫の心情や、それに即して変化する彼女の視界に映る世界の在り方が、痛いほど胸に迫ってきます。なぜ、清姫の心情をここまで表現することができたのでしょうか?

清姫と気持ちを重ね合わせ、その心情を掘り下げることに注力したからではないかと思います。安珍を殺めるまでに至った清姫の心中は、彼の裏切りに対する怒りや悲しみ、それでも彼を求めてしまう自身への自己嫌悪など、愛憎がないまぜになった感情が渦巻いていたのではないかと想像しました。ですが、結婚や出産を経て安定したところにいるわたしには、渦中にいる清姫の心情を本当の意味で理解することは出来ないとも思いました。

そこで清姫と気持ちを重ね合わせるために、結婚するまでの約15年間を過ごした東京へと向かい、過去の恋愛が想起される場所を巡りました。それは、心の奥底で蓋をしていた過去の自分と向き合うことでもありました。そうすることで、かつての苦しみがこみ上げてくるだろうと覚悟していましたが、不思議とそれだけではなく、辛いながらも懸命に生きていた当時の自身の姿が見出されたのです。その時はじめて過去の自分を受け入れられ、気持ちがとても楽にもなりました。そしてこれは、清姫にも通じることではないかと思ったのです。この旅を経てからは、憎しみや苦しみだけではない、安珍を愛したことで清姫が感じられた喜びなども表現できるような写真の撮影も行いました。

重層的な展示手法が印象的な作品。「作品の背景に存在する時間の流れや、その連なりなどを表現しました」と、古賀さん。

――『安珍清姫物語』を現代に置き換えるために、どのような手法を取られたのでしょうか?

物語の根幹には、愛と裏切り、執着と悲しみ、そして生と死があり、それらは、わたしたちが生きる現代社会にも通じることであると思いました。そこで自身や家族、友人たちに、安珍や清姫の姿を重ね合わせて撮影を行う手法を選びました。登場人物を演じてくれた被写体の人たちには、物語に対するわたしの解釈や、どんな写真作品にしたいのかという思いを共有するとともに、被写体の人たちの恋愛経験もお聞きし、当時の気持ちを思い出しながら演じてもらいました。その撮影の中で、誰もが安珍であり、誰もが清姫であるという、『安珍清姫物語』に秘められた普遍性を実感しました。

本展では、多種多様な額が使用されています。「古い額から最近のフォトアクリルまで、様々な額を取り混ぜて使用しました。本作自体、昔と今を行ったり来たりするような内容なので、そういった要素も踏まえて写真と額とがピタリと合うような展示にこだわりました!」と、古賀さん。

――これまでの作品制作との大きな違いの1つとして、育児との両立があったと伺いました。展示時期が事前に決まっていたことも含め、プレッシャーもあったのではないかと思いました。

育児だけでも手一杯なところに、2020年に展示というタイムリミットまであったので、たしかにプレッシャーはありました。ですが実は、本作の1つ前の作品『TRYADHVAN』(※1)も、1年間という限られた時間の中で撮りおろしたという経緯があるので、こういった状況は二度目なんです。その際は自身の妊娠が重なり、体力的にも精神的にも厳しい中、1年後に展示が控えていたため本作以上のプレッシャーがありました(笑) その経験があったからこそ本作に関しては、やりきる覚悟がすでに出来ていました。

とはいえ、当時2歳の娘の育児と両立させるには、時間的な制約が最大の課題でした。なので、まずは物語をシーンごとに紙に100枚ほど書き出し、それぞれの撮影を行う際に必要な場所や小道具を明確化させました。あとはパッチワークのように隙間時間を活用し、約1年半かけて撮影を行いました。

――育児で得た経験は、作品制作においてなにか変化をもたらしたのでしょうか?

育児の中で得た気付きが、作品制作で活かされた瞬間が何度かありました。例えば、娘と積み木で遊んでいたとき、結構高くまで積み上がり「上手く積めたね!」と一緒に喜んでいたところ、娘はニコニコしながらそれを壊したのです(笑)そして、何事もなかったかのようにまた隣で楽しそうに積み始めるんですね。その光景を目にしたとき、これはすごいことだなと衝撃を受けました。子供のそんな自由奔放な姿に触発され、本作ではこれまで積み上げてきた撮影スタイルを一度すべて壊し、ゼロから挑戦してみようと思い立ちました。

そこで、今まで使用したことのなかったストロボを活用してみたり、これまで作品に加えることのなかったブレやボケといった表現にも挑戦しました。また、新たな撮影スタイルを模索する中で、いくつかの発見がありました。例えば、蛇になった清姫が血の涙を流すシーンでは、彼女が血越しに見ていた世界はきっとボケていたんじゃないかなと気付いたんです。それは私たちが生きるこの世界においても同様で、必ずしもピントが合ったクリアなものだけで構成されているわけではないといことに思いが巡りました。つまり、作品制作の障害であるように思えた育児が、わたしの作品に新たな可能性をもたらしたのですね。

右の作品の被写体は、古賀さんと娘さん。「この作品は、血など連綿と続くものの象徴として裸を撮影したものだったのですが、撮影に飽きた娘がわたしの背中に地図を描いていて(笑)その背中を鏡で見たとき、なんて面白いんだと思い撮影しました。 意図せず撮れた時の方が、何度見ても飽きない写真になるような気がしますね」と、古賀さん。

――娘さんの自由な感性が、古賀さんの撮影スタイルの解放に繋がったのですね!また娘さんといえば、本展のラストを飾る作品の被写体も務めていらっしゃいますね。その意図を教えてください。

本作の写真集を制作している時から、最後の写真については模索し続けていました。最初は、キッチンで佇む旦那さんがこちらをパッと振り向く姿をとらえた写真で終わろうと思っていました。物語に沿って過去と現在とを行ったり来たりしていた私たちが、現在の旦那さんと視線を合わせることで目を覚ますようなラストを構想していたのです。ですが、写真集の出版元である赤々舎の編集長の姫野さんと相談を重ねる中で、本作のラストはそうではないという結論に達しました。ではどれにしようかと、撮りためた膨大な写真を眺めていると姫野さんが一言「絵里子ちゃん、この中にはない」と言ったんです(笑)そこから一枚だけ、娘の写真を追加撮影しました。

『安珍清姫物語』は悲恋として語り継がれていますが、最後には2人とも性別など、世の中に存在する概念に縛られない天人の姿となって解放されます。この結末があるからこそ、『安珍清姫物語』が時代や世代を超えて愛されてきたのだと思いますし、それならば私の作品のラストにも救いを見出したいと思ったんです。私にとっての自由や希望、そして解放とは何かと考えたとき、それは娘の存在にほかならなかったので、光が溢れる中で娘を撮影した作品を本作の結末としました。

本展に来場された、『安珍清姫物語』の舞台・和歌山県出身のお客様からの感想が印象に残っていると古賀さんは話されます。「その方は、幼少期にお母様が毎晩子守歌のように聞かせてくれた『安珍清姫物語』をすごく怖い話だと思っていたそうです。でも本展を観て、怖いだけではない物語の別の面も感じられ、受け入れることができたとおっしゃっていて嬉しかったです!」

本展からは、美しいだけではいられない愛の本質が見出されます。その愛ゆえの激情を、古賀さんは「人間の業」としてとらえるとともに、それを肯定し受容します。そんな思いのもとで制作された本展を眺めていると、自身の中に潜む安珍や清姫の存在に気付かされ、またそれらも含めて受け入れられているような穏やかな心地が得られました。安珍や清姫に対して様々なとらえ方が出来るように、本展から見出される物語も多様であると思います。本展がご自身の目にはどう映るのか、ぜひ会場で確かめてみてください!

※ニコンプラザ東京では、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、マスクの着用と備え付けの消毒液による入館前の手指の消毒、検温カメラによる体温測定が実施されております。また、混雑緩和のため入館制限を実施させていただく場合もございますので、余裕をもってお出かけください。

※1『TRYADHVAN』:自身の妊娠と出産をテーマにした作品。赤々舎から2016年に写真出版。

ステートメント

【古賀 絵里子 写真展「BELL」】
会場:ニコンプラザ東京 THE GALLERY
会期:2020年10月23日(金) 〜 2020年11月16日(月) 日曜休館
10:30〜18:30(最終日は15:00まで)
会場:ニコンプラザ大阪 THE GALLERY
会期:2020年11月26日(木) 〜 2020年12月9日(水) 日曜休館
10:30〜18:30(最終日は15:00まで)
https://www.nikon-image.com/activity/exhibition/thegallery/events/201706/20201023.html

古賀さん WEBサイト http://www.kogaeriko.com/