ウジェーヌ・アジェ

Eugène Atget
1857年 フランス南西部ボルドー近くの町リブルヌに生まれる。
1863年 両親が若くして亡くなった為,叔父に引きとられ、パリに移り住む。叔父は
    アジェを司祭職に就かせようと考え,神学校に通わせた。しかし,神学校を
    中退し,商船の給仕となってヨーロッパ各地,北アフリカ,南米まで旅する。
1879年 フランス国立高等演劇学校に合格するが、兵役のため中退。
1881年 地方回りの役者になる。
1886年 生涯の伴侶となる女優ヴァランティーヌ・ドラフォスに出会う。
1886年 二人は一緒に旅回りを続け,グルノーブル,ディジョン,パリ郊外で公演する。
1897年~1902年の間,妻ヴァランティーヌはラ・ロッシュで公演。
1898年 劇団を解雇され一人パリに戻る。パリに戻ったアジェは画家になろうとする。
    41歳である。アジェが描いていたのは風景画である。印象派風の木を描いた
    油絵画が残されている。しばらくして画家への道を断念する。ただ、画家に
    なることを諦めた後も絵を描いている。アジェはこの少し前頃から写真を撮
    り始めた。18x24センチのガラス乾板を使う木製の暗箱カメラで,レンズボ
    ードを上下にあおれるものである。最初に手がけたシリーズは路上で商いを
    する人々の写真である。
1899年10月にモンパルナスのカンパーニュ・プルミエール街17番地に引っ越してきた。
    ここに死ぬまで住むことになる。モンパルナスは多くの芸術家が住んでいた。
    アジェはアパートのドアに手書きの「芸術家の資料(documents pour artistes)」
    という看板を掲げ,芸術家に写真を売る生活をはじめる。
    画家に成ろうとしていたとき,多くの芸術家が作品の資料となる写真を求めて
    いることを知ったためだ。ともあれ,アジェは生活のために写真をはじめた。
    初期の路上の物売りシリーズを除いては朝に撮っていた。
    建物を正確に撮ろうとすると,人や馬車がじゃまになるためである。
    アジェ自身が作成したアルバムは次の7つがある。
1898年 ~ 1900年 パリの生活と仕事 146枚
1910年 パリの乗り物 57枚
1910年 パリの屋内:芸術的,絵画的そして中産階級の 54枚
1912年 パリの仕事,店そしてショーウィンドウ 59枚
1913年 古きパリの看板,そして古い店 58枚
1913年 パリを囲む城壁跡 56枚
1913年~1914年 パリの旧軍用地帯の住人の様子とその典型 62枚
1927年 シュルレアリスムの若い前衛芸術家たちの強い関心を惹きつけ、アンリ・ルソー
    と共にシュルレアリスムの先駆者に数えられ、「写真家の税関吏ルソー」と呼ば
    れた。
1927年8月 パリにて死去。