Bonin smile

Bonin smile
夏野 葉月
2014/05/30 ~ 2014/06/12
Exhibition Archives

小笠原諸島は移住の歴史を持つ島です。
文禄2年(西暦1593年)に小笠原民部少輔貞頼が無人島だった小笠原を発見したと伝えられています。
長らく無人島のままでしたが、1830年6月26日にナサニエル・セーボレーをはじめとした総勢23名の欧米系移民がこの島に住み始めました。
PDFの始めの4枚に写っている欧米系の容貌を持つ方々はこの欧米系移民の子孫です。
1953年にペリー提督が浦賀に上陸した年に小笠原諸島にも立ち寄り、当時島長だったナサニエル・セーボレーから石炭用貯蔵地を50ドルで買い上げています。
アメリカの動向にあわてた幕府は1861年に威臨丸を派遣しますが、幕末から明治初年にかけては小笠原は完全に日本に帰属はしていませんでした。
明治9年に明治政府は小笠原開拓を決議し、小笠原は正式に日本の領土となりました。
その後、八丈島をはじめとする地域から日本人が移住し、日本からの移民が徐々に増えていくようになりました。
小笠原では彼ら戦前に移民した日本系島民を「旧島民」、戦後に移住した移民を「新島民」と呼び分けています。
ですが、昭和16年に太平洋戦争が勃発すると硫黄島、小笠原諸島は本土防衛のための前線基地として変質していきます。
昭和19年7月、数名の男性を除いた6886名の島民が本州に強制疎開を命じられました。
その後、昭和20年の敗戦後は小笠原は米軍に占領されました。
旧島民は帰島を許されなかったが、祖先が欧米系移民の家族だけは帰島を許され、昭和21年135名の欧米系島民が父島に住むようになりました。
昭和43年6月26日、小笠原は日本に返還され旧島民の帰還と新島民の移民が始まりました。
複雑な歴史を持つこの島の歴史は移住の歴史と言っても過言ではありません。

私は小笠原に観光客として旅行したとき、偶然欧米系島民の南ジョージさん、南スタンリーさんと知り合い、そのお話を聴くことができました。
それ以来、小笠原の歴史に興味を持ち、2013年4月から小笠原村父島に移住し、この「Bonin smile」を撮り続けています。

私が心引かれたのはこの島の人々の笑顔の温かさです。
複雑な歴史を持つ島なのに、島の人々は本当に心温かい人ばかりです。
私は欧米系島民、旧島民、新島民の方々を撮影することで、この島の歴史の傷跡を抱えてもなお輝く小笠原の魅力を撮りたいと思いました。
その一端が作品に少しでも立ち表れていましたら、幸いです。

 


&nbsp

会期:2014年5月30日(金)〜2014年6月12日(木)
会場:エプサイトギャラリー(epSITE)