熊本県葦北郡芦北町佐敷
産業編集センター 出版部
2023/04/13 ~ 2023/05/13
熊本県葦北郡芦北町佐敷
【旅ブックスONLINE 写真紀行】
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加藤清正の城下町と薩摩街道の宿場町、二つの顔を持つ港町
佐敷は佐敷川の河口に開けた町で、水運だけでなく、薩摩と肥後を結ぶ薩摩街道の宿駅としても発展した町である。相良氏七百年の城下町である人吉は海のない内陸部にあり、佐敷はその人吉から最も海に近い港町である。薩摩へも人吉へも峠を越えなければ入れない。佐敷が古来から交通の要衝であり、峠越えした旅人たちを迎える宿場町として大いににぎわったであろうことは容易に想像がつく。
南北朝時代には軍事的要衝として城も築かれた。佐敷城は、城造りの名人として知られる加藤清正が佐敷川に面した山の頂に築いた城である。城下町も整備され、城は清正の死後も加藤家熊本藩の支城となっていたが、元和元年、一国一城令により廃城となった。その後の佐敷は、宿場町として発展していった。
現在は佐敷川の両岸の道路沿いに白壁土蔵造りの家並みが数多く見られる。道路に面してノコギリ状に斜めに町家が建ち並んでいる風景も健在。これは城下町時代、攻めてきた敵を身を隠して待ち伏せするのが目的だった。
佐敷では二十年ほど前から町並み保存に力を入れており、古い家屋を補修したり復元したりして伝統的な町並みの姿を残そうとしている。旧商家の桝屋の建物を復元して、佐敷宿の顔である「芦北町薩摩街道佐敷宿交流館」を誕生させたのも、保存会の
努力によるものだ。だがもちろん、旧家の保存は決して容易ではない。令和四年八月、台風直撃による被災もあって、人吉街道沿いの薩摩屋という宿屋が長い歴史の幕を下ろした。島津の殿様や篤姫、伊能忠敬なども宿泊した薩摩藩の本陣であり、佐敷を代
表する旧建築だった。私たちは薩摩屋を探して何度も何度も通りを往復したが見つからず、近所の住人に尋ねて、そこがほんの数ヵ月前に解体されたことを知った。自然災害が多く、環境変化の激しい我が国で、歴史的建物を保存しておくことの難しさを痛感させられた出来事だった。
話題を変えて、最後に一つ、佐敷のとっておきの観光ピーアールを。深夜に無数の火が沖合いに現れる不知火現象で知られる不知火海に面した佐敷では、「観光うたせ船」という観光船を出している。大きな白い四本のマストと大小九つの帆を持ち、それらが風を受けて潮の流れに任せて大海原を滑っていく姿は、得も言われぬ美しさで、別名「海の貴婦人」とも呼ばれる‥‥そうだが、残念ながら事前予約が必要とのことで、我々は日程の都合上乗船できなかった。興味のある方は、芦北漁業協同組合にお問い合せの上、ぜひ体験していただきたい。
※『ふるさと再発見の旅 九州2』産業編集センター/編 より抜粋