北海道寿都郡寿都町

北海道寿都郡寿都町
産業編集センター 出版部
2025/04/15 ~ 2025/05/15
北海道寿都郡寿都町

【旅ブックスONLINE 写真紀行】
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遠い昔、ニシン漁と北前船で栄華を極めた港町

寿都というのもまた珍しい地名だが、アイヌ語で「茅が多い川」という意味の「シュプキペツ」に由来するという。古代から人が暮らしていた形跡があり、寿都湾に流れ込む|朱太《しゅぶと》川がわの周辺で縄文時代の土器などが見つかったり、アイヌ民族のさまざまな遺跡も発見されている。
寿都という町が始まったのは江戸時代初期。関ヶ原の合戦が行われた1600年頃から和人が集落を作り始め、海で獲れるニシンやサケ、アワビやナマコなどの海産物を、アイヌが求める日用品や酒などと交易する大型の「商場」として発展した。ニシン漁で有名な町として寿都という名はあまり知られていないが、天保年間には空前のニシンブームに沸き、明治36年には積丹、小樽に次いで三番目の最大漁獲高を記録している。明治から大正初めにかけて、寿都では毎年約3万トンものニシンを捕り続けた。町はどんどん豊かになり、ニシン長者たちは海沿いに次々に豪勢なニシン御殿を建てた。町の人口は最盛期には2万人を超えたという。
 しかし大正の初め、寿都はニシン漁始まって以来の大不漁に見舞われる。そしてその後も毎年不振が続き、やがてニシンの姿は完全に見られなくなった。
 現在の寿都には、華やかだった往時の面影はほとんど見られない。海と山の間の狭い平地に形成された小さな半農半漁の町。ここが昔、何隻もの北前船を所有したニシン長者たちの屋敷が建ち並び、全国から買い付けの商人が殺到した町とは想像もつかない。だが、海沿いの国道229号線に沿って、「旧歌棄佐藤家漁場」「旧鰊御殿・橋本家」など、ポツポツといくつかの建物が残り、それらが唯一、往時の姿を偲ばせて
いる。
 今も漁業の町としての寿都らしさが見られるのは、やはり寿都漁港だろう。ニシン漁は終わったが、寿都の漁業は決して終わってはいなかった。北前船が通った当時とはもちろん比べるべくもないが、今も百人以上の漁業者が沿岸漁業に取り組んでホッケやアイナメ、ソイ、ホタテなどを獲り、また近年寿都の目玉商品となっている「寿かき」の養殖にも力を入れている。
 さらにもう一つ、今注目されているのが「風車」である。寿都は昔から「風の町」として知られ、春から秋にかけて「だし風」と呼ばれる局地的な強風が吹く。これを有効活用し、全国で初めて風力発電を導入した。強風をクリーンエネルギーに変える町づくり。弱みを強みに変える寿都の新しい挑戦を、陰ながら応援したい。

※『ふるさと再発見の旅 北海道』産業編集センター/編より抜粋