黒飛公博「嵯峨面〜民俗伝承への誘い〜」
黒飛 公博
2018/05/15 ~ 2018/05/20
京都写真美術館 ギャラリー・ジャパネスク
【個展開催に当たって】
京都に生まれ育ったこともあり20代の頃より能や狂言に興味を持つとともに、それらの多くの面(オモテ)にも惹かれ、写真の世界で表現してみたいと思い探し続けてきました。京都に伝承されている能や狂言で使われる面(オモテ)を調べていくうちに、ひょんなことから嵯峨面に出会いその素朴さや表情の豊かさに魅せられました。 また同時に京の歴史の片隅で、民俗伝承として生まれ庶民生活のなかに息づき、消えていった嵯峨面に心を惹かれこの面の縁起や内面の世界を多くの人に知っていただきたく「嵯峨面」民俗伝承への誘いとして写真展を催すに至りました。 今回個展開催に際し、二代目嵯峨面作家「藤原孚石」氏(日本画家「藤原敏行」氏)に本展の趣旨をご理解頂き開催の運びとなりました。
京都の華やかな歴史や文化だけではなく、京都嵯峨野に古来より残る風習や民俗伝承である嵯峨面を紹介することで、国内はもとより訪日外国人旅行者の方々に本物に出会うきっかけにとなれば幸いです。
【嵯峨面とは】
京都・嵯峨野の代表的な民芸品。 神仏面、能面、十二支面など種類はさまざま。ユーモラスなものもあれば怖い表情のものもある。いずれも素朴で飄々とした味わいがあり土臭い温かみがある土俗面。 弘安二年(1279年)十萬上人が七歳の時に別れた母親に洛西の釈迦堂で巡り会えるが、母は上人の胸に抱かれ他界。 上人が追善供養の為、舞い続けたのが嵯峨大念仏狂言の起こりと云われ、その表情を表したのが嵯峨面の始まりと云われている。
その後、江戸時代中ごろ狂言から独立、厄除けや魔除け面として社寺で頒布されるようになった。 それも時の流れとともに次第に廃れ、村人たちによる面作りの技法も忘れ去られてしまった。 今回の作品は、先代「藤原孚石氏」が奈良の中世の仏像にヒントを得て面の表情を創造。失われた民俗芸術に新しい生命を吹き込んだ。
二代目「孚石」(日本画家 藤原敏行)氏の作品は先代の面づくりを継承しつつ、表情が穏やかで彩色も淡い暖色が多い。
また、面に使う紙は明治版の反古紙ですべて手作り。面裏に付された厄除け札も木版の手刷りである。
(嵯峨面パンフレットより引用)