~言葉にできない寂寞とした感情と、真正面から向き合った作品~
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「今、私は寂しい人なのだろうか……、いや、そんなことはない。ただ、頼りないほど柔らかい蜘蛛の糸が風に揺れているように不安定なだけなのだ。」(ステイトメントより抜粋)
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昨夏、精神的にまいり、どうしても外に行けない期間があったそうです。「これじゃいかんとわかっているけど、何もできない。自分の住処という限られたテリトリーの中で撮れるものをと、荒天の日にベランダから見えた雷にレンズを向けました」。そうやって自分の感情と正面から向き合うことで、写真の強度が上がってきたのだと、上瀧さん。
糸遊とは、クモの糸が光に屈折しゆらめいて見える現象が原義で、陽炎を意味する春の季語です。
亡くなった両親の遺品から見つかったフィルムカメラとコンタクトシート。それまで知らなかった親の一面に触れたことで興味を持ち、2012年冬より写真を始めたという上瀧由布子さん。肉親とのつながりがぷつっと断たれたことで沸き起こった、悲しさや寂しさといった言葉にできない寂寞感を、写真を撮ることで少しずつ昇華させていったそうです。
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「私とは誰かを考えるようになりました。物質的に満たされていても、心のどこかにある寂しさや悲しさといった複雑な感情は、誰しもが持っていると思います。日常や身の回りにある些細なことに目を向け、琴線に触れたものを真っ直ぐ正面から撮ることで、そうした自分の心に素直に向き合えました」
言葉にできるものを撮っていても面白くないのだと、上瀧さん。今年2月にまとめた写真集『糸遊』にあわせて開催した今回の展示で、ようやく区切りがつき次のステップへ踏み出せると話してくれました。
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会場に展示された約25点の作品には、家族の日常や近所で見つけた風景など何気ないシーンが写っています。どれも身近な世界でありながら、遠くから俯瞰しているような印象を受けるのは、見る側の心の底に寂しさや悲しさといった言葉にできない寂寞感があるからなのでしょうか。
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会期中、上瀧さんは毎日在廊し、自分の作品と向き合うそうです。不安定にゆらめく糸遊のような心の機微がまざまざと写し撮られた上瀧さんの世界が気になる方はぜひ会場へ足をお運びください。
ステートメント 会場にて、初写真集『糸遊 GOSSAMER』(3,800円+税)が展示販売されています。
【上瀧 由布子 写真展「糸遊 Gossamer」】
会期:2019年3月26日(火)~4月7日(日)
13:00~20:00(会期中無休)
会場:サードディストリクトギャラリー
http://www.3rddg.com/home/index.html
上瀧さんのWebサイト
http://www.kotakiyuko.com/profile.html