上瀧 由布子「糸遊 GASSAMER」展

レポート / 2019年3月28日

~言葉にできない寂寞とした感情と、真正面から向き合った作品~

会場にて上瀧さん。小さい頃から音楽を学び、音楽を生業としてきた経験が、写真活動に生きているそうです。「音楽と写真は比較的似ているところがあります。ピアノで楽曲を何度も練習していくうちに自分の中で解釈が進み、ある時、自分のものになった感覚になります。写真も、3回目の展示になってようやく、自分のものになったような感じを受けました」と、上瀧さん。1回目と2回目の展示は、両親の死に対する困惑や、どうしようという不安が前面に出ていたそう。今回、ようやく自分の中で昇華させることができ、会場で自分の作品と向き合うのが心地よいのだと教えてくれました。

「今、私は寂しい人なのだろうか……、いや、そんなことはない。ただ、頼りないほど柔らかい蜘蛛の糸が風に揺れているように不安定なだけなのだ。」(ステイトメントより抜粋)

写真集『糸遊』をまとめたいと思うきっかけになった、雷を写した作品。
昨夏、精神的にまいり、どうしても外に行けない期間があったそうです。「これじゃいかんとわかっているけど、何もできない。自分の住処という限られたテリトリーの中で撮れるものをと、荒天の日にベランダから見えた雷にレンズを向けました」。そうやって自分の感情と正面から向き合うことで、写真の強度が上がってきたのだと、上瀧さん。

糸遊とは、クモの糸が光に屈折しゆらめいて見える現象が原義で、陽炎を意味する春の季語です。
亡くなった両親の遺品から見つかったフィルムカメラとコンタクトシート。それまで知らなかった親の一面に触れたことで興味を持ち、2012年冬より写真を始めたという上瀧由布子さん。肉親とのつながりがぷつっと断たれたことで沸き起こった、悲しさや寂しさといった言葉にできない寂寞感を、写真を撮ることで少しずつ昇華させていったそうです。

会場には、写真集に収録された71枚の作品の中から、約25点の作品が展示されています。「無意識の中でシャッターを切ることで、言葉にできない深層心理が表出すると感じています」。

「私とは誰かを考えるようになりました。物質的に満たされていても、心のどこかにある寂しさや悲しさといった複雑な感情は、誰しもが持っていると思います。日常や身の回りにある些細なことに目を向け、琴線に触れたものを真っ直ぐ正面から撮ることで、そうした自分の心に素直に向き合えました」

言葉にできるものを撮っていても面白くないのだと、上瀧さん。今年2月にまとめた写真集『糸遊』にあわせて開催した今回の展示で、ようやく区切りがつき次のステップへ踏み出せると話してくれました。

写真サイズは比較的小さめ。「日常のささやかな写真なので、大きくしたくなかった。自分の手のひらに収まるくらいが心地よいですね」と、上瀧さん。

会場に展示された約25点の作品には、家族の日常や近所で見つけた風景など何気ないシーンが写っています。どれも身近な世界でありながら、遠くから俯瞰しているような印象を受けるのは、見る側の心の底に寂しさや悲しさといった言葉にできない寂寞感があるからなのでしょうか。

上瀧さんは、辞書や事典を見るのが好きで、時間のある時はいろんな言葉を探しているそうです。「糸」「線」「つながる」という言葉が気になりたどっていったところに「糸遊」につながったそう。「自分の作品を網羅している言葉だなと感じました」と、上瀧さん。サブタイトルの「GOSSAMER」は遊糸を意味し、クモの糸のように極めて細く軽いものを指す言葉です。

会期中、上瀧さんは毎日在廊し、自分の作品と向き合うそうです。不安定にゆらめく糸遊のような心の機微がまざまざと写し撮られた上瀧さんの世界が気になる方はぜひ会場へ足をお運びください。

【上瀧 由布子 写真展「糸遊 Gossamer」】
会期:2019年3月26日(火)~4月7日(日)
13:00~20:00(会期中無休)
会場:サードディストリクトギャラリー
http://www.3rddg.com/home/index.html

上瀧さんのWebサイト
http://www.kotakiyuko.com/profile.html